ルージュライン[誘惑の調べ]
イラスト&大量書き下ろし付で電子書籍化! 天才ピアニストにびしょびしょになるまで責められる、甘く激しい束縛ラブ! 誘惑の調べ ~年下S男子と愛のレッスン~
乃村寧音
【お試し読み】誘惑の調べ
冬のレッスン室はほどよく暖房が効いていて、大学の中でも格段に居心地のよい場所のひとつだ。防音のため密閉された空間は、まるで外の寒さなど嘘のように常に一定の温度と湿度を保っている。それはもちろん、置いてある二台のグランドピアノのためであるのだが。
ぼんやりと窓の外の風景に目を走らせる。冬枯れた木立、薄汚れた自転車置き場。レッスン室の外は大学の裏手にあたっているから、別に見よい風景でもない。でもわたしは外に顔を向けたままだ。なぜなら。
わたしの目の前に学生の久我隆斗(くがりゅうと)君がいて、ブラームスのラプソディを、まるで子どもがバイエルを弾くような一本調子で元気良く弾きまくっているからだ。
久我君は、学内で一押しの学生だ。すでに大きなコンクールでの入賞歴もあり、音楽雑誌に取材を受けることも多い。学内だけでなく外でも知られた存在になりつつある。
人気が出始めた理由は、ピアノの実力もそうだけれど見た目の効果も大きいと思う。容姿端麗なのだ。目元と顎のラインがシャープですっきりとしており、細身で、全体的にどこか色素が薄い感じがするものの、体つきを見ればけして華奢すぎるわけではない。腕には程よく筋肉がついているし、さらりとした髪をかき上げる指先は長く、ピアニストらしく少々骨っぽい。久我君がまだ小さなころから知っているわたしでも、つい見とれてしまうことがある。女の子に人気が出るのは当然かもしれない。
ひどい演奏が続いている。もちろんわざとやっているのだ。
ブラームスのラプソディ第一番ロ短調は、決してインテンポで元気良く、子どもらしく弾く曲ではない。全くない。
と、言うことは、この演奏は何を意味しているのか?
わたしにはもちろん、伝わっている。
久我君はわたしを、からかっているのだ。バカにしている、と言うこともできる。
だからわたしもレッスンなどしない。まともにも聞かない。
別にそれでもかまわないのだ。どちらにしろ久我君は間もなく、日本を離れドイツに留学するのだから。
かつてはわたしも通った道だ。わたしのピアノ道はどうやらこのへんで行き止まりのようだけれど、久我君はわたしよりもずっと華やかな道を進んで行くだろう。
わたしは母校でもある音楽大学のピアノ科で講師をしている。三年前の春に大学院を卒業し、留学から帰国した後試験を受け、勤務することになった。
留学時代にはヨーロッパのピアノコンクールに出たりもしていたけれど、結局ピアニストとしては特に注目もされずに終わった。一定の技術力と、音楽に関しての基本的な知識があるだけで、わたしには才能と呼べるほどの物はなかったのだ。
久我君のレッスンを担当することになったのは、恩師に頼まれたからだ。世界的なピアニストでもある城島直久(じょうじまなおひさ)教授。久我君の師でもある。
子どものころから憧れていて、中学生のときにレッスンを受けるため初めて顔を合わせた際には、緊張で手が震え全く弾けなかった。大学生になり男と女として付き合うようになって、無理やりに一足飛びで大人になった。初恋がそのまま中途半端な形で実ってしまったわたしは、普通の恋を知らない。決して穢れのない体とは言えないのに、本当の意味では処女だったということも含めて。
教授は若いころに離婚して以来独身を通していて、わたしは何人かいた恋人のひとりでしかなかった。それでもいいと思っていたけれど、留学の前には別れを告げられた。巡り巡って普通の師弟に戻っただけ、と思うしかなかった。
久我君は最後の高弟と言われていた子だ。教授が病に倒れ入院してしまったため、急遽わたしが代わりにレッスンすることになった。その引継ぎが済んで間もなく、教授は亡くなった。教授は自分の死期を悟り、ぎりぎりまで久我君のレッスンを担当してくれたのだと後からわかった。まだ五十九歳だった。
そんなわけで、本来なら下っ端の人間がレッスンするべきではないはずの久我君を、わたしが担当している。もう一年になる。
城島教授が亡くなってからこれまで。久我君とわたしの間には、いろんなことがあった。
初めて久我君にレッスンをしたときのことを思い出す。教授が亡くなる直前のころだった。昔から顔見知りではあるものの、二人きりになったのは初めてだった。
「エチュードからでいいですよね」
「ええ、どうぞ」
わたしは海外留学をしていたので、その間久我君の演奏を聴いていない。前からきれいな音を出す子だとは思っていたけど、それがどこまで進化しているのかは知らないでいた。
すぐに演奏が始まった。曲はショパンのエチュードの四番(op10-4)。試験でもよく課題曲にされるもので、技術が見えやすいから最初に弾いてもらうのにいい。かなりのスピードだった。聞いていると、理解より先に全身がぶわっと総毛立って、汗が出て来てしまった。
神様がわたしにくれた能力で一番大きなものは多分、音楽を聞き分ける耳だと思う。学生のときも、留学していたときも、わたしは同期生の中で一番才能がある人の音はすぐにわかった。
生まれつきのものに努力で追いつくことはできない。ましてや、天才たちに努力までされたら絶対に追いつけない。わたしは早々と自分に見切りをつけなければならなかった。
けれど、だからこそわたしはピアノ教師には向いていると思った。耳が良いからだ。ある程度までは、学生を正しい方向へ導いてあげられる自信があった。
でもそれは相手が平凡なピアノ弾きだった場合だ。
四番の演奏が終わる。
「あとは、何を持ってきてるの?」
わたしがそう言うと、一番(op10-1)を弾き始めた。今度は雷が落ちてきたような感じがした。目の前に忽然と、伝説の動物「麒麟」でも現れたらきっとこんな気分になるんだろうなと思った。
「何番がいいですか?」
ぼうっとしていたら尋ねられた。演奏が終わっていたのだ。
「えっ」
「ショパンのエチュードなら全部暗譜してるんで何番でもいいですよ」
わたしは黙った。何を言ったらいいか少し迷った後、あなたにレッスンすることはできない、と伝えた。わたしは経験が浅いし、もっと適任の教師がいると思うので学校に相談します、と。
城島教授に頼まれはしたが、できることとできないことがある。わたしには天才の指導はできない。久我君は半世紀にひとり出るか出ないかの天才だと思った。
すると久我君はその必要はありません、これからも見て欲しい、と言った。
「城島先生からお聞きかと思いますが、来年には日本を離れる予定です。なので、このままお願いします」
「でも、」
「いえ、お願いします。僕の音の、わずかな不調をちゃんと聞き取れるのはおそらく奈緒(なお)さんしかいませんから。城島先生もそうおっしゃっておられますし」
結局押し切られ、引き受けることになった。
もともと同じ門下生だ。仲良くなるのに日数はかからなかった。わたしは指導はせず、良い聞き手としてのアドバイスに終始し、久我君に誘われるまま連弾を楽しんだ。
メンデルスゾーンの「アンダンテと華麗なるアレグロ」を二人で仕上げまでやったというのが、レッスンと言えばレッスンになった。この曲はメンデルスゾーンがクララ・シューマンと連弾するために作ったという難曲で、出だしの優しいメロディーには慰めがあり後半は豪華絢爛で美しい。