ルージュライン[S系年下王子に魅せられて~夢の中の恋~]
甘~い書き下ろし&イラスト付きで配信決定! 同じ会社の後輩・通称「王子」と甘くて淫らな取材旅行!? S系年下王子に魅せられて~夢の中の恋~
有允ひろみ
【お試し読み】S系年下王子に魅せられて~夢の中の恋~
幼い頃から、夢の中に遊ぶのが得意だった。
特にお気に入りなのは、童話の中に住む姫君と王子様の恋のお話。
深い森の中にある美しいお城の中。純白のベッドに眠る私のところに、王子様が訪ねてくる。目を閉じていても、わかる。微笑んで近づいてきて、私に唇を寄せる。
幼い頃から見続けている夢だけれど、大人になった今、その内容は徐々に様変わりしている。物語は、幸せなキスだけでは終わらなくなる。私たちはお互いにもう身も心も恋に落ちて、キスの後の糖蜜の時間に酔い、溶け合い、ひとつになる──。
関東以南の地方都市から発信している情報誌『Sylvie』は、今年で創刊十周年を迎える。ターゲット層は、二十代から三十代までの働く女性で、グルメ・カルチャー・旅行を中心に毎月様々な記事を掲載している。毎号四十ページ弱の誌面のうち、編集七年目の私、沢木百合亜(さわきゆりあ)が担当する『ティアラな時間』は、恋人と過ごすふたりきりの時間を、いかに楽しむかというコンセプトの元、動き出したレギュラーコーナーのひとつだ。
駅から歩いて十分足らずのオフィスへの道。時間は午前八時。大勢のビジネスマンが、一定のスピードを保ってそれぞれの職場へと向かっていく。
「沢木さん!」
夏が終わった後のちょっとベタついた空気が満ちるオフィス街に、すっきりとした春風を思わせる様な声が響き渡る。
「沢木さんって!」
「あぁ、瀬戸(せと)君、おはようっ!」
おもむろに振り返って、頷く。彼、瀬戸康介(こうすけ)君は、入社二年目にして我がホワイトホース社きってのエースであり、私の大切なビジネスパートナーだ。
彼が所属するのは各種イベントを企画運営するクロスメディア事業部で、私のいる『Sylvie』編集部とはフロアを同じくしている。
入社当初編集部に配属された彼は、私という教育担当者の下で一年みっちりと編集を学んだ。その後、今の部署に転属になり、それ以来双方の部を掛け持つような形で仕事をこなしている。半年前に始まった『ティアラな時間』もそのひとつで、彼が持ち込んでくれた企画は概ね好評だし、次回記事も彼が提案し、セッティングしてくれたものを予定している。
「おはようございます」
相変わらず眩しいほど爽やかな笑顔。さらさらとなびく黒髪が、朝の陽光を浴びて輝いている。真っ白なワイシャツに、空色のネクタイ。微笑んだ目元を飾る眉は、まるで筆で描いた様に伸びやかで目にも清々しい。
「荷物、重そうですね」
こちらを真っ直ぐに見る彼の目線が、私の左手元へと移る。
「うん、持ち帰った資料が知らない間に溜まっちゃって」
「持ちます」
重くぶら下がっていたバッグをひょいと奪い去られて、片方に傾いでいた身体が、一気に軽さを取り戻した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
私の半歩前を歩いて、前方から来る人波から私をかばってくれている。相変わらず、さりげなく優しい。気持ちいいほど容姿端麗で、性格も申し分ない。彼が微笑むと、誰しもついつられて口元を綻ばせるし、一緒にいると、なぜだかとてもいい気分になる。そんな彼に、つけられたあだ名は「王子」――。
童話の中の王子様の様な清潔感に溢れて、丁寧に作り上げた彫刻の様に整った顔立ちには、不釣り合いなものがいっさい見当たらない。外見だけではなく、内面的にも「王子」と呼ばれるにふさわしい好青年の彼。当然、女性社員の憧れの的だし、その人気は社内だけにとどまらない。
そして私には、そんな彼に関しての秘密がある。
私は、瀬戸君に恋をしている。誰にも内緒の、こっそりとした恋を。普段恋愛なんか二の次という様相を見せている私だ。特に気を付けなくても、この気持ちが誰かに気付かれる心配はない。
加えて、これは最高級の絶対機密事項。そんな爽やか王子瀬戸君を相手に、私は夢の中で様々な恋愛シーンを繰り広げている。童話の中のカップルさながらにキスを交わして、あろうことか何度となくベッドの中で抱き合い、恋人として繰り返し甘く密やかな時間を過ごしているのだ。
「っくしゅん!」
「あれ? 沢木さん、風邪ですか? 月末だし、疲れが溜まってくる頃ですよね」
心配そうな瀬戸君の顔が、私の左上前方の視界に入って来る。
「うーん、確かに最近まともに寝てないかも。昨夜も寝たら寝たで、夢の中でまで仕事してる始末で……っくしゅん!」
「あぁ、ほらほら」
鼻をぐずつかせる私を見かねて、彼がポケットティッシュを差し出す。
「あ、ありがと」
ずり落ちた眼鏡を、くいと鼻の上に戻した。視力0.01を誇る私の視力は、裸眼では一メートル先にいる人すら見分けることが出来ない。
「大丈夫ですか? ここんとこずっと撮影続きだったし、週末も休日出勤してますよね? 再来週は取材旅行が入ってるし、今月は特にスケジュールがキツキツですね」
眼鏡越しに、ぐっと近づいてくる顔に一瞬どきりとする。昨夜見た夢は、仕事の夢だけではなかった。いつもの様に、夢の中に瀬戸君を呼び込んだ私は、誰もいないオフィスで、恋人である彼と思う存分戯れていたのだ。
「どうかしました?」
急に黙り込む私に、瀬戸君が不思議そうな顔で話し掛ける。
「んっ? ううん、何でもない」
「そうですか。なら、いいですけど」
にっこりと微笑んだ彼の顔に、自然と頬が緩む。ウォーキングシューズを履いて百七十センチ弱の私の身長からして、瀬戸君はおよそ百八十センチくらい。服の上からではよくわからないけれど、スポーツ好きを自負するだけあって身体にはそれ相当の筋肉がついているという噂だ。
「あ、信号」
目前に迫る信号の青が、ぱたぱたとせわしなく点滅を始めた。
「走りますか?」
「うん」
長い脚が、横断歩道を渡っていく。少し前を走る瀬戸君の身体が、いったいどうなっているのかなんて、想像もつかない。夢の中に見る彼の裸身は、眼鏡なしの視界みたいに、いつだって輪郭がぼやけている。
それもその筈。今年二十九歳になる私だけど、実のところ驚くほど恋愛経験に乏しい。
男性の裸などまともに見たことはないし、そんな映像を想像しただけでも、笑い飛ばしたくなるほど恥ずかしくて堪らなくなる。
自身が担当するコーナーで恋愛を語っているのに、その実誰よりも頭でっかちで、経験がまったく伴わない。だからこそ、いいのかもしれない。私が記事に書く恋人たちの時間は、わくわくとした期待感に溢れているとの評価が高い。自分だけの王子様と過ごす姫君の『ティアラな時間』は、私自身にとっても夢のひとときを描き出す大切な拠り所なのだ。
アスファルトに引かれた白線の上を走り抜ける。ガラスの自動ドアを通って、八階建ての細長い建物の中に入った。このビルは、いくつかのテナントが同居していて、我がホワイトホース社があるのは、七階と八階部分だ。
エレベーターが到着して、先に入り扉を押さえる瀬戸君のそばに身体を滑り込ませる。駆け込んできた顔見知りと挨拶を交わして、目の前にある瀬戸君の喉元に視線を固定させる。きめ細やかな肌が、まるで陶器みたいだ。少し角ばった顎の左端に、うっすらとしたほくろがあり、綺麗にシェービングされた肌には、剃り残した髭など一本も見当たらない。
会計事務所が入った二階を通り過ぎて、エレベーターが三階に到着する。まだ人でいっぱいのエレベーターの中で、いきなり左手をぐっと握られるのを感じた。