ルージュライン[快感★ラブ・マッサージ]
イケメン美容師×文系女子。美容室で過ごす甘くてエッチな秘密の時間。 快感★ラブ・マッサージ ~美容師の指でふれられて~
草野來
【お試し読み】快感★ラブ・マッサージ
「髪が伸びたね」
花邑(はなむら)さんは私と会うといつもまず、髪の毛に目を向ける。前回カットされたのが、まだ夏服のときだったから……そう、約半年ぶりの再会だ。
来週からはもう三月だ。大学の中に身を置いていると、どうしても一年の終わりは十二月ではなく三月、という感覚になってしまう。
「今年になってから希羽(きわ)ちゃんと会うのは初めてだね。明けましておめでとうございます」
「あ、おめでとうございます」
「それと、助教就任、おめでとうございます」
「よ……花邑さんこそ、二号店を任せられることになったそうで、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
四角い箱のようにこぢんまりとしたサロンの一角。待ち合いスペースの椅子の一つに私は座って、花邑さんは床に膝をついて、互いにおめでとうを言いあった。
花邑さんは長身なので、跪いても目線の位置は私とさほど変わらない。
すっとした一重まぶたに、ほどよく整った顔の線。紅茶色のやわらかそうな髪は男性にしてはやや長めだけれど、軽くパーマがかけられて、ふんわりとあたたかそうな、いかにもこの人にぴったりという感じがする。
ざっくりしたボタン付きのパーカーに白いシャツ、黒のボトムスという服装もまた、ほどよくオシャレでほどよくカジュアルだ。雑誌に紹介されることもあるサロンの美容師さんにしては、花邑さんにはかまえた感じがない。アシスタントさんよりもラフなくらいの格好だ。
「ようさん、お先に失礼します。希羽さん、どうぞごゆっくり」
「はい、お疲れ。気をつけて」
アシスタントの男の子が花邑さんにあいさつして、私にも声をかけて帰っていった。
〈美容室Cor コル〉のスタイリスト、花邑洋(よう)さんは、お店のスタッフや指名のお客さんたちからは「洋さん」と呼ばれている。だけど私の耳には「洋さん」ではなく、いつも「ようさん」と聞こえる。漢字よりも平仮名のやわらかい響きの方が、花邑さんにはあってるように思われるから。
もっとも、私自身は彼のことをとうとう名前で呼ぶことはなかったけれど。
「さて、今日はどうしましょうか」
前回のカットの面影はほとんど残っていない。きれいな形のボブヘアにしてもらったのに、いまや肩先まで隠れるくらいの野放図なミディアムになっている。
「これからは“杉野(すぎの)先生”と呼ばれるようになるんだから、先生っぽい感じにしようか?」
伸びっ放しになった耳元の髪を指先でかき上げて、花邑さんは微笑を向ける。気安い仕草だけどなれなれしくはない。花邑さん独特の、相手を安心させる手つき。この手にふれられるのもこれが最後かもしれないと思うと、少しさびしい。
「希羽ちゃんには長いことカットモデルをしてもらったからね。今日は最後だから希羽ちゃんお好みのカットにしますよ」
「あ、嬉しいな。サンパツ代、得しちゃった」
弾んだ声で答えつつ、やっぱり花邑さんも今回で最後と考えているんだな、と了解する。
「まずシャンプーしようか」
シャンプー台へ移動して、仰向けにされて顔の上に薄い布をかぶせられた。温かいシャワーと、いい匂いのするシャンプー。長い指が丁寧に髪をかき分けて、もしゃもしゃと泡立てられる。
「お痒いところはございませんか~」
鈴を転がすような軽やかな口調の決まり文句に、笑いをこらえて返事をする。
「ございません」
「熱すぎたり、ぬるすぎたりしてませんか?」
「していません」
いまでこそぽんぽん言葉を返せるけれど、初めて花邑さんにシャンプーされたときはろくに返事もできなかった。初めてカットモデルなるものにスカウトされて、初めて男性美容師さんに対応されて、がちがちに緊張した。
五年前、二十三歳のときだった。
当時の私は大学院に進んだばかりで、少しでも早く周囲に追いつくため、四六時中勉強していた。ある日、電車の乗り換え途中に歩きながら資料を読んでいて、改札の手前でぼすんと大きなものにぶつかった。それがこの人、花邑さんだった。
思い返すと口の端から小さな笑みがこぼれる。
「くすぐったい?」
花邑さんの問いかけに、「ううん」と短く答える。父親以外の男の人にこんなに遠慮のない態度や口調をとってるなんて、あの頃の自分には想像もつかない。
「はい、お疲れさまでした。こちらへどうぞ」
シャンプーが終わってカット台へ案内される。熱いコーヒーとガラスの器に入った小粒チョコレートが出てくる。
「たしかノーミルク、ノーシュガーだったよね」
お金を払って施術される正式なお客でもないのに。花邑さんは私のコーヒーの好みも覚えていて、手ずから用意してくれる。それは職業上のことだけではなく、この人自身の性格からきているように思われる。さっきの男の子にかけた言葉にも表れていたように、ずっと年下の人間にも礼儀正しくて親切だ。
「ではマッサージに入ります」
肩にタオルをかけられて両手を添えられる。長くて筋張った、荒れている、それでいながら手ざわりのいい指。お客さんの肌を傷つけないようにだろう、爪は短い。
「希羽ちゃんはいつも頭が凝ってるね」
彼は私のコリをよく知っている。耳のすぐ後ろの頭皮をぐっと圧されると、いた気持ちよくて声が出る。
「っんん」
「痛かった?」
「痛いけど……気持ちいいけど……痛いです」
「今日もかなり凝ってますね。なにか凝るようなこと、あった?」
「昨日、学科の先生方との面談があって……そのあと呑み会があって」
「気疲れした?」
「少し。でも勉強にもなりました。今後やっていく上で」
「そのぶん凝りになっちゃったのかな。頭とか肩とか首にさわるとね、その人の疲れ具合やストレスが手を通して伝わってくるんだ」
知っている。
私も花邑さんに頭や肩や首すじをさわられると、手から心地いい感じが伝わってくる。その感触はあとになって不意によみがえることもある。たとえばお風呂上がりや寝る前に。
花邑さんの指は頭から首の方へと下りていく。猫の仔を持ち上げるみたいに片手で首を押さえてコリを揉みほぐす。もう片方の手は右肩の、腕のつけ根の部分に添えられる。わずかに力を入れられてくすぐったさが駆け抜けた。
(っ……)
唇をきゅっと噛んで息を止める。
肩の下の、脇のすぐ上。そこが性感帯だとばれないように細心の注意を払ってきた。声を漏らさず、表情にも出さず。マッサージされてるだけで感じてしまっているなんて、決して悟られてはいけない。自分自身、この部分が感じるだなんて花邑さんからマッサージされるまで知らなかったのだ。
「はい、お疲れさま」
「ちょっと……うとうとしていたかも」
さも眠たそうにつぶやいて大げさに伸びをした。ケープを着けられ、首と布地の隙間に指先を差し込まれ、くっと軽く曲げられて、またもざわつきそうになる。
「きつくない?」
「……大丈夫です」
今日の私は……なんだか変だ。たぶん、感傷的になっているんだ。
「さて、どんな風にしましょうか」
正面の鏡越しににっこり微笑みかけられる。
二十三歳の私なら、彼の目をちゃんと見返すこともできなかったろう。だけどいま、二十八歳の私は怖じることなく微笑を返して、希望する髪型を口にする。
「いちばん初めのときの感じでお願いします」