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ルージュライン[S姫の秘密の城]

表紙&口絵つきで電子書籍化決定!「もう一度俺のものになれ」強気な女王様の、忘れられない初恋再会ラブ! S姫の秘密の城 女王様の強気な純情

斎王ことり

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【お試し読み】S姫の秘密の城~女王様の強気な純情

 そこにいたのは脂ぎった中年オヤジでも、はげ上がってえげつない笑みを漏らしているような男でもない。趣味が悪いどこぞの高級ネクタイを似合いもしないのに締めているような、成金ふうの男でもない。はっきり言ってハンサムな好青年。節度あるスーツを着た二十四、五歳の青年で、コートの下は肩幅もあり、引き締まっている身体がわかる。髪も清潔感があるし、夜でもよれていないシャツにネクタイも紺地に濃淡のブルーが星座を描いているもので、紺色のスーツに合っている。
「そう。この部屋の客だ。今夜ここに来る予約をしていた苫屋……じゃなくて、白兎ですが。十二分遅刻してしまったから、予約キャンセルされてしまったかな」
 几帳面に腕の時計を見て青年が言う。真珠は焦った。
「キャンセルは、されてないはずです。今調べますね」
 この高層ビルの何階かにクラブ経営の事務所があるのだと茜は言っていた。指示書であるタブレットを手にとってチェックするが、特に新たな更新情報はない。
 タブレットには、予約の入った日と支払いがカード決済であること。その名義は”白兎”と書いてある。
「予約は白兎様のお名前で取られていますね。お間違いはありませんか?」
「そうです」
「お名前が……白兎様? ご本名ですか? 違い……ますよね?」
「白兎です。それが気に入らないなら……羚羊(かもしか)でも結構だけどね」
 彼はきまじめな顔をして頑として言い張る。
 真珠の鼓動が速くなる。白兎に羚羊、そんなあだ名で呼ばれていた先輩がいた。
 陸上部で白いジャージが似合っていて、高校の女生徒たちの人気を集めていた長身の二つ上の先輩。岡山の星とも言われていた、あの悩ましき存在が急に真珠の中に甦ってくる。いやな予感が襲いかかる。
「この部屋に入るときには合い言葉が必要で、決められた名を名乗るのがここのクラブの決まりだと聞いたけど? おかしいな。君の上司に訊いてみようか」
「え? それは……あの」
 真珠は、自分が一夜限りの代理で、客よりもここのシステムに疎いことを指摘されてどきどきしてしまう。それにもしかしたら茜の代役でここにいることを彼女は事務所に知らせていないかもしれない。大事になったら困る。そんな思いも手伝ってここは穏便に済ませようと慌てて言い繕う。
「申し訳ありません。私入ったばかりの新人なもので。お客様はこのクラブの常連様でしょうか?」
「予約は苫屋という社の先輩がしていたけれど、諸事情で俺が代わりによこされたんです。支払いはちゃんと自分のカードでするので安心して」
 そう言う男に黒いカードを差し出される。その署名は海野涼。
(うみのりょう……)
 目に焼きつくその名前に真珠の心臓が一瞬にして凝固する。いやな予感どころじゃない。その名前は一瞬にして真珠の思考を停止させた。それは紛れもなく、真珠の過去のもっとも苦い思い出と共にあり、同時に過去の美しい風景と共に甦ってくる忌まわしき名前だ。
『どう……思う? 答えてくれるかな。姫野。俺とつきあって……くれるかどうか』
 息苦しいまでの澄んだ眼差しを、彼は伏せてすぐ足元の地面を見つめる。彼の目にはきっと少女の小さな革靴と、陸上部の履き込まれた白いスニーカーが映っている。
『それは……ちょっとどうでしょう』
『どうというのは?』
『だって海野涼じゃ、将来を思うと私の名前が……』
 当時、真珠はとっさにそう言って彼の真剣な眼差しをはぐらかした記憶がある。
 少女にしてはくっきりした眉。それに負けないほど大きく円らな瞳。小さな顔に目鼻立ちがはっきりとしている。華奢で小柄なのにどことなく女王様の風情が漂う。そう当時からふざけて言われていたこともあった。性格もはっきりしていて迷いがなく、竹を割ったようだと今でも言われる。
 真珠は動揺を隠して印象の強い真っ黒な瞳を涼先輩に向け、赤い唇を開く。
『私は見た目と違ってかなりはっきりした性格で、一部で気が強いって言われているのをご存じなら、お受けしてもいいです。あとになって”やっぱりかわいげがない”と言われるようなら今のうちにお引き取りを』
 ああ、なんてことを言ったのだろう。てんぱると、時々とんでもないことを口走るのは子供の頃からの癖だ。
 このときは神様が味方してくれた。彼は年下のきっぱりと物を言う少女に怖じることなく交際をしてくれた。それは真珠の高校時代のもっとも緊張を伴うもっとも幸せな記憶だ。彼の名前が”海野涼”。だから、今この目の前の知らない美青年が、そんな思い出の名前の刻まれたブラックカードを突きつけてきた途端、いけない扉を開いてしまったような、永遠にしまい込んでおきたい記憶のアルバムを覗いてしまったような、そんな気がして足が震えた。
”海野涼”。ありふれていそうでそうでもない、そんな名前を何年ぶりかで聞かされて、真珠の中の血液がどくどくと遡ってくるようだ。
 知らない人だ。都会ではきっとよくある名前に違いない。きっと、絶対別人だ。そう思いたいのに、身体のどこかが『おまえのよく知っている男だろう』とシグナルを送ってくる。いやというほど知っている名前だ。昔耳になじんでいた男らしい美声だ。あの男だ。なんてハンサムになったのだろう。道ですれ違ったら、絶対振り返りたくなるようなたたずまいの青年。理知的な大人になった。
「君、どこかで会ったこと……ないかな?」
 見つめられるとそれだけで死にそうになる。
「ないと……思います。そ、そんな……昔のナンパの台詞みたいな……」
 大丈夫。彼はまだ自分があの下級生だと気づいていないらしい。このまま気づくな。やり過ごさなくては。真珠の中で、この接待の目標が今屹立する。
「本当に? 嘘じゃないよね。俺は君のその綺麗な顔にとても見覚えがあるんだが」
『ひ!』と声が上がりそうになる。心臓が急にばくばくと鳴り始める。こんなことがあるだろうか。悪夢じゃないだろうか。同姓同名じゃない。あの岡山県の風景と共に、半年つきあっていたキラキラ輝く先輩の凛々しい姿が重なってくる。
 それと同時に、封じ込めてきた過去のいきさつや、恥ずかしいことが頭の奥から明瞭に浮き上がってきているのを感じて、真珠は目眩をおこし始めている。
「ああ、何か手が痛むと思ったらさっき鞭で打たれたからか。その鞭本物なんだね」
 そう言って顔をしかめる彼の手の甲に、赤い線がくっきりと浮き上がっている。
「すみません。痛かったですよね。すぐ冷やしますね。それと消毒も。救急箱は……」
「いや。深く切れてはないし痛いのは慣れているから平気。そんなに慌てなくても」
 彼の言葉でよけい慌てる。心臓は強い方だけれどなんだかすごくどきどきしてくる。『痛いのは慣れている』その台詞をかつてどこかで聞いた気がする。
「あの、私……下の事務所に行って救急箱を持ってきます。手当てしないと」
 戸口に駆け寄ろうとした真珠はふいに手を掴まれた。
「まさか。これくらい怪我のうちにも入らないから、大丈夫だ。騒がなくていい」
「いいえ! お客様に怪我をさせて手当てをしないわけにいきませんから」
 この人が女王様に鞭打たれるのが趣味なら、いくらでも鞭で打っていいだろう。
 でもこの人は、かつて”女王様”を前にして萎縮した男だ。結局気の強い女は望んでいなかった男だ。今だってそう簡単に気質は変わってはいないだろう。

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