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ルージュライン[Dr.高間の発情診察~仔猫のように抱きしめて~]

WEB掲載分に書き下ろしを加えて文庫化決定! Dr.高間の発情診察~仔猫のように抱きしめて~

草野來

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【お試し読み】Dr.高間の発情診察~仔猫のように抱きしめて~

「体重から計算して、生後四日ってところですね」
 体重の他、体温を測ったり聴診器を当てたり、耳や口のなかのチェックもしてもらい、異常なしと言われて一安心する。お腹がいっぱいになり、排泄も済んだ子猫は清潔なタオルに包まるや、身体を丸めて眠ってしまった。
「じゃ、次はあなたね」
 勧められた丸椅子に腰かけると、額の、さっき電柱にぶつけた部分に冷たいタオルが当てられた。
「たんこぶにならないよう冷やしとかないとね」
 頭の上から声がして、視線を上げると目が合った。かなりの至近距離で、どきりとする。頭がくらっとなる。ひょっとして、けっこう強く電柱にぶつけたのかもしれない。
 作業着の左胸に名札が留められている。プラスチックのプレートに“高間(たかま)けい”と印字されていた。
「ここに来る途中で、ぶつけたんですか?」
「はい……傘を差してて前が見えなくなりまして」
「そりゃ散々でしたね」
 ぶっきらぼうな物言いだけど、額をそっと包み込む手つきは丁寧だった。頑丈そうな腕にはそこかしこに噛み傷や引っ掻き傷がついていて、うっすらと消毒液の匂いがする。
 タオルで私の頭を押さえながら、高間先生は子猫の飼い方の注意事項を説明してくれた。数時間おきの授乳。排泄の手順とコツ。体温を低下させないための保温ベッドのつくり方……。
 私の不安そうな表情が伝わったのだろうか。ふと尋ねられる。
「今までに猫を飼ったことはありますか?」
「ありません」
「じゃあ、動物を飼ったことは?」
「一度もありません……すいません」
「謝ることないけどね」
「がんばって覚えます。大切にして面倒みます!」
 膝の上で、安心しきって寝ている子猫に私はすっかり情が移っていた。ともに雨に濡れた者同士、捨てられた者同士。なんだかもう、この子が他人と思えなくなっていた。だけど問題点が一つある。
 高間先生が私を見た。この子を任せても大丈夫かどうか、考えあぐねるような目で。それがまた私を緊張させた。
「ちなみに昼間とか留守中に、この子の面倒をみてくれる方は他にいらっしゃいますか?」
 私もまさにそれをいま、考えていたのです。
「それが……一人暮らしをしておりまして」
「そっか」
 先生は診療申込書に目を通して「お住まいもお勤め先も、この辺りなんですね」と確認すると、思いも寄らないことを言ってきた。
「なんだったら、この子、昼間はうちで預かりましょうか?」
「……それは、とてもありがたいですけれど、でも、よろしいんでしょうか」
 戸惑い気味に尋ねると、そっけないくらいに返された。
「ま、これもなにかの縁ですよ」
 縁。どこかで聞いた気のする言葉だった。
「ええと、夏目江理子(えりこ)さんね。この子の名前はもう決めました?」
「ちょっと……あまりに急な事態なので、まだ全然、浮かんでこなくて」
「じゃ、夏目さんと同じ名字の文豪ソーセキの猫小説にあやかって、“名前はまだ無い”ということでネコにでもしときましょうか。仮に」
「ええと……」
「それともソーセキの門下生、?田百閒の猫エッセイからとって、ノラとかどうですか?」
 ネコかノラかの二者択一ですか……。
「では、ネコでお願いします」
「ネコね」
 私の膝で眠るネコ(仮)を撫でながら、安易なネーミングでごめんねと、心のなかで私は謝る。そして、今日からよろしくね、と。

 それからは生活が目まぐるしく変わった。
 朝はまず、ネコに授乳し、排泄をさせてから自分の支度をして、キャリーバッグにネコを入れて出勤する。自転車だと万が一、転んだりしたら危ないので徒歩通勤に切り替えて、職場へ向かう前に坂井動物医院へ立ち寄るのが日課になった。
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
 保育園の朝も早いけれど、町の獣医師さんの朝もそうとう早い。いつも私が着く頃にはもう高間先生は診察室の消毒や院内の掃除を終えようとしていて、ネコをお預けすると「いってらっしゃい」と、建物の前で煙草を一服しながら軽く手を上げて見送ってくれる。
 夜、ネコを迎えに行く頃には受付時間はとうに過ぎて、“預かり料金”を請求してくださいと申し出ると、「治療じゃないからいいですよ」とあっさり言われた。温情会計はありがたいのだけれど、それでここの経営は大丈夫なのだろうか。余計なことながら気になってしまう。
「二時間前に授乳をしたから、次は二十一時にあげてください。それと今日の体重は……」
 話しながら先生は「ちょっと失礼」と、受付にある戸棚からカップラーメンを取り出し、フタをめくってポットのお湯を注ぎだす。
「すいませんね。これから手術が入ってるんだけど昼メシ食いそびれちゃってね。なんか腹に入れとかないときついんで」
「お昼、召し上がってないんですか!?」
「実質、一人でやってるようなもんだから。けっこう雑用とかもあってね」
 もう八時近くなのに、晩ごはんがインスタントラーメン一個だなんて……ネコにミルクはきちんきちんとあげてくれるのに、自分の食事にはまるでお構いなしの人なんだ。
 受付机をお借りしてキャリーバッグにネコを入れながら、待合室のソファーに座っている先生を横目で見る。先生は、ぼーっとした表情で、目の前のテーブルに置いたラーメンができ上がるのを待っている。その姿は、“おあずけ”を食っている大型犬みたいで、なんだか不憫に思えてきた。
 と、ある考えがひらめいた。
「あの、もしよろしかったらなんですが、この子を預かっていただくお礼としてお弁当でも……つくってきましょうか」
 先生の肩がぴくりと動いた。
「先生のご厚意はとてもありがたいんですが、無料というのはやっぱり、いくらなんでも申し訳なくて。それに私、保育園で調理師をしているので、お弁当づくりとかは苦ではないんです」
「いいんだよ、無理しなくて」
「無理じゃないです。むしろその方が、私も精神的に楽になれるかと」
 先生は腕組みをして、しばし考えた。ちらと私に目をやり、見上げられると強い目つきがさらに強まって、私をまごつかせる。
「じゃあ……お言葉に甘えてみようかな」


続きは2014年6月13日発売 フルール文庫ルージュライン『Dr.高間の発情診察~仔猫のように抱きしめて~』にてお楽しみください。

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