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表紙&書き下ろしSSつきで電子書籍化決定! 年下のひそかな強引 蝶は蜜夜に羽化をする

三津留ゆう

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【お試し読み】年下のひそかな強引~蝶は蜜夜に羽化をする~

 デスクに届いた宅配便の包みを解くと、ハードカバーの小説が二冊と、レシピブックが一冊入っていた。
 小説は二冊とも、美紀(みき)が読まない恋愛ものだ。パーティー料理を紹介するレシピブックも、日ごろ手には取らないものだった。どこかに注文した覚えも、取り寄せた記憶もない。
 発送元をたしかめようと、美紀は机上の配送伝票をのぞき込んだ。肩口で揃えた髪が、視界にかかる。それを押さえようとした美紀の手もとから、ふわりと紙切れが舞い落ちた。
 わ、と声を上げ、空中で捕まえようとする。けれど紙切れは、美紀の手のひらをいたずらにかわし、ひらりひらりと逃げていく。
 ようやく捕まえて見ると、それは少しだけ癖のある字で書かれた一筆箋だった。

『牧田(まきた) 美紀 様
 先日お話ししました藤堂(とうどう)先生の小説と、弊社の新刊をお送りいたします。気に入っていただけるとよいのですが、恥ずかしながら、女性の好みは見当がつきません。ご笑納いただければ幸いです。
平河書店 北村(きたむら) 拝』

 最後に書かれた「拝」の字に、こそばゆい気持ちになった。こういう言葉を使う人間は、少なくとも美紀のまわり、映像の世界にはいない。
 あらためて、伝票の差出人欄に目をやった。北村、という涼しげな名前の印象で、美紀は二日前、平河書店が出版している小説の映画化案件で、知り合ったばかりの男を思い出す。
 花屋を舞台に展開するピュアな恋の物語は、メガホンをとる監督、苅谷(かりや)の得意とするジャンルだった。苅谷とよく仕事をする美紀も、今回の現場に呼ばれていた。
 製作班顔合わせのあと、親睦を兼ねた会食の席でのことだ。
「平河書店の、北村です」
 ざわついた宴席でも、はっきり通る低い声だった。
 差し出された名刺には、映像事業部、北村恭也(きょうや)と記されている。顔合わせでは、プロデューサーと紹介された。
 美紀も、名刺を交わしながら名乗る。
「チーフ助監督の牧田です」
「牧田、美紀さん……って、ああ、もしかして」
 美紀のフルネームをきちんと読み上げ、北村は合点がいったように顔を上げた。
 すっきりと整えた黒髪に、ノーブルなシャツが映える男だった。美紀と同い年か、ひとつふたつ年下か。あとから人に聞いたところによると、やはり美紀よりひとつ年下の、三十二歳ということだった。
 黒縁の眼鏡の奥で北村は、その目を細めて美紀を見た。
「苅谷監督に、紹介するからと言われて楽しみにしていたんです。ひとつのところに留まらず、現場を渡り歩く名チーフ――まるで花から花へと飛んでいく、うつくしい蝶のような女性だと」
 整った顔に面と向かって言われると、柄にもなく頬が熱くなる。美紀は慌てて言葉を返した。
「蝶って……誰がそんなことを」
「それね、僕の発案。かわいいでしょ?」
 横槍を入れるように現れたのは、この映画の監督だ。
「苅谷監督……!」
 美紀が憤慨した声を上げると、苅谷は口を尖らせる。
「だって美紀くん、いろんな現場ふらふらしてて、なかなか捕まらないじゃない」
 白髪に丸眼鏡の風貌で拗ねたような顔をしていると、かわいらしくて咎めようという気も失せる。
「それは……」
 たしかに美紀が、現場を渡り歩いているのは事実だ。
 多くの助監督は、同じ監督のもとで継続的に仕事をする。よくしてくれる苅谷に、不義理をはたらいているのではないかと思うことももちろんあった。
 言いよどむ美紀を前にして、苅谷はふてくされた表情から一転、よき理解者の面持ちで美紀を見た。
「まあ、わかる気はするけどね。美紀くんの仕事ぶりを見てると、どんな監督でもまた次、お願いしたくなっちゃうよ」
「そんなことは」
「なくないよ。いつも現場で会うわけじゃなくても、美紀くんが見えないところでスケジュールだの予算だの、ちゃんと締めててくれるでしょう?」
 苅谷は、口ひげを撫でながらにこにこと笑う。
「だから、僕たち現場にいる人間が集中できるんだ。厳しく言わなくちゃいけないこともある、大変な仕事だよ」
 大きく頷いて見せる苅谷を前に、美紀は言葉が継げなくなる。そんなふうに思ってくれていたなんて、初めて知った。
 苅谷がメガホンをとる現場は気に入っているし、人としても、監督としても尊敬している。
 もちろん、映画そのものは好きだった。けれど、群れて行動することが、昔から苦手なのだ。
 だからだろうか、ひとつの現場が終わればまたあたらしい集団に移ることができるこの仕事は、案外向いていたようだ。
「苅谷監督が、そこまで言う人ですから」
 北村の声に、美紀は我に返った。
 いつのまにか、俯き気味になっていた顔を上げる。と、北村は、まだ美紀のほうを見て微笑んでいた。
「本当に、楽しみにしてたんです。お会いできるのを」
 きゅっと口角を上げて笑む顔は、素直な誠実さにあふれていた。てらいもなく、よくもそんなまっすぐなことが言えるなと思う。
 ひさしぶりに出会ったその純粋さが、美紀にはめずらしかったのかもしれない。
 そのあとすぐ、他に呼ばれた苅谷が去っても、美紀は北村に会話を導かれるまま話し込んでしまっていた。
 今までに観た映画の話、共通の知人の話、先週観た芝居の話。
 趣味や見解の一致にひととおり驚いたころ、話題に上ったのがその小説だった。
「恋愛小説ってあまり読まないんですけど、苅谷監督が」
 美紀は、北村が注ぐ酒を猪口で受けながら話していた。
「もう一冊――今回の花屋さんが舞台の原作本か、その本か、どっちを先に映画化するかっていう感じだった小説があって。読みたいなって思ってるうちに、こっちの映画化が決まっちゃったんですよね」
 北村は頷き、美紀の返盃を受けていた。見た目だけでは、酔っている様子はない。美紀もたいがい強いほうだが、北村も相当だ。
「もしかして、藤堂幸彦(ゆきひこ)先生の小説ですか? ロサンゼルスの、建築家の話でしょう」
「そう、それ! ……どうして」
 言い当てられた美紀が首をかしげると、北村は種明かしをするように笑った。
「その小説、俺が担当してたんですよ」
「北村さんが?」
 美紀はちらりと、横に置いていた名刺に目をやった。そこにはやはり、映像事業部と書いてある。
「今の部署に来る前は、出版事業部にいたんです。新卒で入社してから……四年くらいかな。連載が始まってすぐに異動して、後輩に引き継ぎましたけど」
「なるほど、それで」
「ええ。苅谷監督も気に入ってくださったようなので、ぜひメディアミックスもと思ってはいるんですが」
「そうですか……北村さんが編集したのなら、なおさら読んでみたいですね」
 眼鏡の向こうでかるく目を見張ったかと思うと、北村は子どものように明るくて無垢な笑顔を見せた。
「それはうれしい。ご迷惑でなければ、お送りしますよ」
 ふと、涼やかな風が吹き抜けたような気がした。くちびるをつけた、清酒が香る。かろやかな口あたりは、悪くない味だった。
 勧められるままに杯を重ねて、いろんなことを話したから、本を送ってもらうなんて話は今の今まで忘れていた。
 酒の席での約束を律儀に守ってもらえるなんて、露ほども思っていなかったのだ。

 送られてきた小説は、思いのほかおもしろかった。デスクで読みふけっていると、あっというまに夜も深い時間になっている。

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