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ルージュライン[恋色骨董鑑定譚~甘く酔わせて~]

表紙&口絵つきで電子書籍化決定! 恋色骨董鑑定譚~甘く酔わせて~

斉河燈

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【お試し読み】恋色骨董鑑定譚~甘く酔わせて~

 本当に大切なものは置いてきてから気付くもの。
 幼い頃に過ごした、何気ない日々を貴重だったと感じるように。裏返せば、多少のブランクのあとに悟った価値は本物なのかもしれない。
「なつこ、……いくぞ」
 人で賑わうレセプション会場、そう言った彼の目は据わっていた。
 右手首を掴まれて、斜め前方へ引っ張られる。触れた掌が汗ばんでいるのは気のせいだろうか。
「え、あ、有礼(ありのり)さん? お開きまであと一時間近くありますよ」
 小声で言って、わたしは慌てて壁の時計を指差す。八時五分。現在地は都心のホテルの地下一階、披露宴会場にもなるホールのひとつだ。
 例のごとく彼の講演会を聞いたあと、わたし達はそろって和服でレセプションに出席しているのだった。
「いい。へやにもどる……バックレる」
 到底、平時では言わないような台詞を口にして、彼はわたしの手を引く。
「でも、お知り合いもいらしてるのに」
「かまわん。おまえがいなければ、そもそも出席すらしていなかった」
 大股でずんずん進んで、ついにホールから出てしまった。
 ほかの会場でもパーティーや披露宴が行われているというのに、廊下はしんとしている。上演中の映画館のようだな、と考えながらついていくと、彼は廊下の突き当たりで右へ曲がりつつ左によろめく。
「有礼さんっ」
 慌てて体の横へ割り込み、左腕を掴んで支えた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、調子に乗って飲みすぎた……悪い」
 ため息混じりの返答に、わたしは苦笑する。酔っているから退出したかったのか。顔色が変わらないから気付かなかった。
 確かに今日はアルコールを飲むペースが早かった。と言っても、彼が進んで飲んだわけではないのだけれど。
「仕方ないですよ。やよいさん、上機嫌でしたし」
 促したのは彼の義母であるやよいさんだ。
 わたし達が連れ立っているのを見つけるなり、喜び勇んで駆けてきて、おめでたいわ、ついにやったわね有礼さん! と日本酒を勧めまくったのだ。
「私が夏子(なつこ)と同棲をはじめたことがよほど嬉しかったと見える。まあ、これまで浮いた話などなかったから無理もないが」
 彼――津田(つだ)有礼さんは、わたし、碓井(うすい)夏子が勤務する洋風旅館、鐘桜館(しょうおうかん)の元・宿泊客。
 骨董鑑定士という職業からして謎めいている彼は当初、言動も過去も、感情の起伏さえも読めない人物だった。仲居であるわたしはいっぺん興味を持ったら最後、惹かれずにはいられなかった。
 追いかけたり追いかけられたりを経て、やっと想いが通じたのは昨年の冬。
 今や同棲を始めて二ヶ月になる。
「ふふ、そうですね。お見合い写真すら先方に受け取ってもらえなかった有礼さんですもんね」
「悪かったな、捻くれた老いぼれで」
「四十は老いぼれじゃないですし、わたしは好きですよ。有礼さんのそういう、こだわりを持った生き方」
 欲や利便性より風情を優先するところ、捻くれているというより筋が通っていて尊敬できると思う。
 告げると、彼は不自然に無表情を作りそっぽを向いた。
「……おまえが物好きで助かる」
 耳たぶが赤い。照れているのだと思う。
「ふふふ」
「笑うな」
「だって」
 あんなにわかりにくかった彼の心情が、最近は手に取るようにわかるのが嬉しい。
 くすくす笑いながら、指先でエレベーターのボタンを押す。向かうのは十一階、デラックスダブルの客室だった。
 今日はこのままホテルに宿泊する。
 同棲を開始してから初めての外泊だ。
 というのも来週、有礼さんは記念すべき四十一回目の誕生日をひかえている。だから部屋でゆっくり夜景でも見ながらお祝いしよう、というのがわたしの計画なのだった。
 プレゼントも、ささやかだけれど用意してきた。本当は彼が執心している骨董品を贈れたらいいのだけれど、その道にまったく明るくないわたしのことだ。サプライズで準備したら偽物を掴みかねないので、いつもの和装に合いそうな扇子にしたのだった。
(でも、この調子だと無理かな)
 水でも飲ませて、早めに寝かせてあげたほうがいいだろう。
「ほら、わたしにつかまってください。腕を肩にかけて」
 少々残念な気持ちで長い左腕を肩に担げば、斜め上に見えた横顔は複雑そうだった。
「介護でもされている気分だ……」
「もうっ、そうやっていちいち年寄りぶらないの」


 客室に入ると、自然と思い出す光景がある。
 ベッドにソファ、ライティングデスク……デザインはすべて近代的であるものの、鐘桜館のアンティーク家具たちと室内の配置が同じだ。
「よいしょ、っと。ソファよりベッドのほうがいいですよね」
 わたしは彼を肩に掴まらせたまま、後ろ手に扉を閉める。
 そうして気付いた。
 家具の配置だけじゃない。似ているのは、ほの暗い照明の雰囲気もだと。
 ――好きだなあ。
 じんわり思う。
 暗さはときに心細いものだけれど、だからこそわたしは闇が好きだ。
 周囲に集中して注意を払っていると、自分の外殻を忘れる。神経ばかりが浮き彫りになって、鋭敏になれたような気がするから心地いい。
「酔ったままだと危ないのでお風呂はあとにしましょうか。わたし、すぐに氷をもらってきますね。あと、売店で二日酔い防止のドリンクも……」
 内鍵をかけ、彼の体を支えなおす。向かうはキングサイズのダブルベッドだ。
 しかし肩につかまらせていた左腕が腰にまわってきて、移動を阻止する。
「いい。行くな」
「わ」
 扉に背中を押し付けられたら、もう動けなかった。
「ここにいろ」
「え、……ン、っ」
 唇を塞いだのは唐突な口づけだ。鼻孔を一瞬、日本酒のにおいが通り抜けてクラっとする。
「酔った私は嫌いか?」
 唇を離した彼は、わたしの顔のすぐ横に右手を突き、右耳に唇を寄せて囁く。
「な、なんですか、いきなり」
「嫌いか、と聞いているんだ」
 低く、鼓膜をくすぐる声。
 なにを今更聞くんだろう。
「……嫌いだなんて」
 言えるわけがない。たとえ冗談だったとしても。
 するとその唇はちょっと笑って斜めに落ちてくる。腰に回っていた左腕はすでにわたしの帯を解きはじめていて、理由は言わずもがなだった。
「ん……ベッド、すぐそこですよ」
「……酔っぱらいには理解できない言葉だ」
 できないのではなく、する気がないのだと思う。
「っちょ、あの、ァ……っ」
 こんなところでするつもりなんだろうか。扉一枚隔てた向こうは廊下なのに。おろおろしているわたしから、水色の着物があっさりと取り払われる。
 バー状のノブに掛けて垂らされたそれは、観光協会での仕事着としてそろえたもの。
「あ、有礼さ……」
「いいだろう、脱がせても。今夜は……私のために着付けたんだろう?」
 その通りだけれども。
 ――完全に酔ってる、有礼さん。
 いつもならこんなに強気で誘わないし、誘ってからもお風呂へ入る余裕くらいは与えてくれるのに。
 しかし肌襦袢の上から左胸に掌をあてがわれると、んっ、と高い声が勝手に応じてしまう。
「廊下に聞こえるぞ」
「そ、それならベッドへ」
「駄目だ。今夜は、私の耳にだけ届くように、啼け……」

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