ルージュライン[ブレンドティーは恋の味]
【Hシーン加筆★電子書籍化!!】茶葉を揉むみたいに愛撫して、私を味わって……。 ブレンドティーは恋の味
草野來
【お試し読み】ブレンドティーは恋の味
朝のお茶に茶柱が立っていた。
「茶柱が立つと来客がある」ということわざがあるけれど、この来客とは嬉しい客を指すという。
そんなことわざ、迷信だと思っていた。
嬉しい客なんてそうそう来るものではないし、自分にはそんな人はいない。
だけど今朝、湯呑みの中に茶柱を見つけたとき、とっさに私は戸田(とだ)さんを思った。ごく自然に、当たり前のように、この人のことを考えた。
どうしてだろう。
首を後ろによじって見上げると、戸田さんの細い目が優しく私を見つめ返す。
「うん?」
案じるように私を見ながらも、大きくて骨ばった手はためらいもなく私の身体をまさぐっている。
敷布団の上で、背後から抱きかかえる体勢で。まるで座り心地のいい、やわらかい椅子に身を預けているようだった。
髪の間に戸田さんの鼻が入り込んでくる。匂いを嗅がれる。くんくんと遠慮なく、気持ちよさそうに。髪や首すじや耳の後ろや、肌に染みついている茶葉(ちゃよう)の匂いを。
鼻先がふれるたびに、くすぐったさにも似た快感が走った。
「そんなに……いいにおい、ですか?」
かすれ声で尋ねると、うなじに唇をつけたまま、戸田さんは答える。
「いい匂いですね。茶葉と汗と、真山(まやま)さんの身体の匂いが溶けあって、どんどんいい匂いになってきた。なにしろずっと、この匂いを嗅ぐのを我慢してきましたからね」
どこか挑発するような、それとも誘導するような物言い。優しそうでいて、肚の底が見えない。腰は低いのに、物おじしない。
戸田さんの抱き方、さわり方はまさに“才取りさん”そのものだと思う。
目端がきいて無駄がなくて、どこをどうすれば、どんな反応を引き出せるか。どんなふうにさぐって、どんなふうに扱えば最良の部分を見つけられるか。
細かいところまで気を配って、相手の表情や動き、息づかいと震えを、じっと観察しているところがある。その周到さに……どうしても緊張させられる。
知りあって十年になるけれど、まさか十年も経ってからこの人とこういうことをするなんて。だれよりも自分自身が信じられない。後ろから身体をいじられて、匂いを嗅がれて。まだこれから、どんなことまでされるのか。期待と不安が半々ずつ入り混じって、実地の乏しい自分には想像が追いつきそうにない。
さっきから私の内部におさまっている戸田さんの右手の中指が、手加減しながら動かされる。
「っふ……ぅ」
お腹の内側から撫でさすられる感覚に、背すじがふるっとゆれた。
快感に裏返る一歩手前の違和感。戸田さんの指使いは落ち着いていて急がない。だけど迷いはない。どれくらいまで私がこらえられるのか確かめようとするように、なかから執拗に愛撫してくる。
左の手のひらは服の下へともぐってきて、ふわりと胸を押さえていた。力をほとんど入れずに、揉むというよりも、やわらかな感触を楽しむみたいに撫でてくる。
長い指と指の間にふくらみを包み込んで、なめらかに動かされて、くすぐったい。思わず身をくねらせると、耳元で問われる。
「力、入れすぎましたか?」
気遣う口調に、首を横に振る。
もっと言葉を尽くして「気持ちいいです」とか「大丈夫です」とか応じるべきだと思うものの、スムーズに口にできない。
この期に及んで私は自分の気持ちをうまく言葉にできない。
戸田さんに言われたように、喋るより、お茶で気持ちを表す方が自分には向いているのだろうか。
そういえば、前にも茶柱が立っていたことがあった。
ほんの一ヶ月ほど前の、秋冬(しゅうとう)番茶のはじまる季節に。
そのときは、戸田さんのことを思い出しもしなかった。それどころか、茶柱なんて迷信だと確信した。
あの日、戸田さんと数ヶ月ぶりに会って、ブレンド茶をつくることを提案されて。そのときはまだこの人とこうなるなんて、まったく思いもしていなかった。
穏やかな晴天の続く秋の午後。
「あ」
淹れたての茎茶の入った湯呑みを見て、呟いた。
茶柱が立っている。
茶柱が立つと来客が、それも嬉しい客が現れるというけれど、たぶんそれは……この方たちではないと思う。
狭い店内の試飲テーブルには、今日もお茶を“試飲”しにいらしているご近所のご隠居さん方、別名ご常連が話に花を咲かせている。本日の話題は最近電撃入籍したという某芸能人カップルらしいけれど、私はよくは知らない。察するに略奪婚のうえデキ婚らしい。
突然、矛先がこちらに向けられた。
「多江子(たえこ)ちゃんには、だれかいい人いないんだかねえ?」
くると思った。流れからして絶対……こうくると思った。
「残念ながらこのとおり、お店が恋人という状態ですので」
私は苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべて答える。
「多江子ちゃん、いくつになったんかね?」
「三十二になりました」
「もうそんなになったんかあ」
おかげさまで。
私は笑顔をキープしたままご常連方に主張する。心のなかで。
新潟県の端っこの地方都市、村上で女ひとりで茶販売店を営(や)って、出会う男性はといえば問屋さんやお茶の生産家さん、それも中高年率、非常に高し。そしてお客さまもこのとおり、お年を召した方ばかりという状況で、どうやって“いい人”を見つけろというのでしょうか。
そんなことを考えつつ、意外にしょんぼりしている自分に気づいて、そのことにさらにしょんぼりして。
そんな一日だったので、夕方に地元の茶問屋・春日園を訪れて、戸田さんに出くわしたとき改めて私は思った。
茶柱なんて信じない。
「ご無沙汰してます。真山さん」
「……お疲れさまです」
作業場の扉を開けてこの人が目に入った瞬間、お邪魔するのは明日にすればよかったと、軽く後悔する。今日のうちにこちらで打ち合わせをしたら、明日の定休日は丸一日、秋冬の季節に売り出す秋冬番茶の茶葉を混ぜ合わせる合組(ごうぐ)み作業に専念できる。
そう考えたのが仇になった。まさかここに戸田さんがいるなんて。
「ご主人、さっき配達に出かけたところなんですよ。すぐお戻りになると思うので、ちょっと待っててください。今日は何のご用でいらしたんですか?」
戸田さんは相変わらずだ。問屋さんだろうがうちの茶店だろうが、どこにいても自分の家にいるような感じで振る舞う。感心してしまうくらい、堂々としてマイペースで。
「秋冬番茶の仕入れのことで。戸田さんは、どういったご用向きで?」
尋ね返すと、彼は待ってました、とでも言いたげな“才取りさん”スマイルを私に向ける。
続きは9月15日発売の電子書籍限定短編「ブレンドティーは恋の味」にてお楽しみください。