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ルージュライン[きみの手で咲く花になる]

かわいくなんか、なくていい。だって、この仕事が好きだから──お仕事女子に贈るヒーリングラブ♪ きみの手で咲く花になる

三津留ゆう

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【お試し読み】きみの手で咲く花になる

  1


 とろんと落ちかけていたまぶたを開くと、友里香は見覚えのない部屋にいた。
 まばたきを数度、繰り返す。アルコールの余韻に、頭がくらくらした。
 部屋の中は暗い――電気が点いていないのだ。そのくせ、さっきから目の前を、ちらちらと揺れる光が行き来する。
 何だろう、と思って視線を巡らせると、テレビの画面が光っていた。
 映し出されているのは、古い外国の映画だ。音声は消されている。無音で流れる映像は、どこか遠い国のドキュメンタリーを眺めているかのようだった。
 誰の映画だろう。ぼんやりした頭で考える。
 画面には、砂漠の風景が広がっていた。かさついた質感のフィルムには、白っぽい石の家が並んでいる。
 カメラが切り替わると、男と女が喋っていた。中東ふうの装飾が施された部屋の中、生意気そうな軍人が、金髪の歌手を口説いている。
 何だっけ、この映画。ずうっと昔……学生のときに観たな。
 誰かと一緒に観たはずだった。部室棟の、薄暗くて狭い映写室を思い出す。
 まどろむ記憶に、横顔が浮かび上がる。
 自分よりも高い、肩の位置。じっと画面を見つめていたはずの視線が、ふと、こちらを向く。
 友里香が見ていたことに気づいたのか、黒い縁の眼鏡、その奥の目が、笑うかたちに細くなる。
 薄く開いたくちびるから、低くてあまい、声が降る。戸上、と自分を呼ぶ声が鼓膜に触れると、胸の底がじんと苦しくなった。
 そうだ、先輩が教えてくれたんだ。何ていうタイトルだっけ。
 寒くなり始めたばかりの季節、部室棟には、まだ暖房が入っていなかった。隣にいる人の体温が、離れていてもはっきりと感じられた。
 隣に座っているというだけで、息もできないほど緊張した、あのころ。
 ああ、だからタイトル、覚えてないんだ。
 かわいいな。
 自分のことながら思わず、笑ってしまう。
 ふつうに観た映画であれば、タイトルを覚えていないはずがない。学生のころから毎日毎日飽きもせず、映画のことばかり考えて暮らしているのだから。
 ずいぶん昔の話だ。けれど、胸に広がる甘酸っぱさは、昨日のことみたいに蘇る。
 どうして今、こんなことを思い出すんだろう。
 記憶のフィルムが、友里香を眠りへと誘っていた。やさしい声を思い出そうと目を閉じる。
 カタカタと小さな音を立て、映写機が回る。その音に、どこからか遠く、雨の音がオーバーラップする。
 混線した電話のように、意識の端で降り続ける、雨の……、
 ……雨?

「ちょ……っと待って……!」
 気合で両目をこじ開けた。
 慌てて、横たわっていたからだを起こす。まず目に飛び込んできたのは、ベッドの下に散らばっているものだった。
 暗がりに、自分が今日着ていたはずのニットとパンツ、その隣にひとまわり大きなサイズのネルシャツとジーンズが、脱ぎ捨てた形のままで並んでいる。ふだんはきゅっとひとつに結んでいる長い髪の毛が、裸の背中にさらりと触れた。
 顔からざあっと血の気が引く。
「……ここ、どこ……?」
 せわしなく部屋の中を見回す。
 部屋は暗くて、狭かった。ベッドをひとつ置くとそれだけでいっぱいになってしまう、四畳半といったところか。
 自分が今までもぐりこんでいた毛布はシンプルな無地、壁に掛かっている洋服は、どう見たって男物。床には、週刊のマンガ雑誌が無造作に積まれている――明らかに、男の部屋だ。
 ……やばい。
 映画を流しっぱなしにしているテレビの上では、時計が午前三時を指している。店から出て、そんなに時間が経ったわけでもなさそうだ。
 それにしても、さっきから聞こえているこの水音。
 雨の音みたいに聞こえていたのは、この音だった。
 けれど、予報では今日も明日も降水確率ゼロパーセント、これだけは確実だ。助監督という職業柄、ロケの日ではなくても天気予報は覚え間違えるはずがない。カーテンが引かれているので部屋の外は見えないが、雨が降っているわけでは絶対にない。
 となれば、すなわち。
「……嘘でしょ……?」
 友里香が青ざめているあいだに、シャワーの音が止んだ。カチャ、と扉が開く音がする。
 友里香は息を呑んだ。濡れた足音が、こちらに向かって近づいてくる。
 どうする? 逃げる?
 いや待って、この格好で? 今さら?
 友里香は毛布で胸もとを隠しながら、頭をフル回転させていた。
 あれからどうしたんだっけ。酔っ払って、店を出て……それからどうしたんだっけ?
 酔って忘れていたのなら、いっそよかったのかもしれない。
 こうなった経緯を、思い出せないわけではない。ちゃあんとぜんぶ、覚えている。
 そうだとしても、自分がこんな大胆な行動に出るなんて、にわかには信じられなかった。



「で、嫌で嫌でしょーがなかったその仕事が、今日でやっと終わったと」
 数時間前の話だ。隣に座る男が、友里香の話に大きく頷いた。
「そうなのよ!」
 友里香はグラスに口をつけると、残っていたビールを一気に飲み干す。目の前のグラスが空になるのは、本日すでに三度めだ。
 金曜の深夜、午前〇時を過ぎたところだ。休前日とあってか、店はいつもより混んでいる。
 店主の羽間がひとりで切り盛りしているこの店は、一年ほど前にオープンして以来、友里香のお気に入りの場所だった。
 カウンター席が七つしかない狭い店だが、そのぶん、羽間の心遣いが行き届いている。
 料理はもちろんおいしいし、アルコール類も、ビールやワイン、日本酒まで、よく選ばれたものが揃っている。置いてある植物ひとつとっても、さりげなく気が利いていた。
「クランクアップしたんですか? お疲れさまです」
 新しいビールと一緒に、羽間が料理の盛り合わせを運んでくる。
「トマトのおひたしにクリームチーズの西京味噌漬け、栗の渋皮揚げです」
 羽間は呪文を唱えるように言いながら、カウンター越しに皿を置いた。
 真ん丸で赤いプチトマト、端のほうが飴色がかったクリームチーズ。割れ目から黄色い中身をのぞかせている栗の素揚げには、粗塩が振られている。
 プチトマトをひとつ、口に含む。
 ていねいに湯むきされたトマトはたっぷりと出汁を吸っていて、淡い酸味が舌の隅までやさしく滲みた。
 ほどよく酔いも手伝って、仕事でささくれだっていた気持ちがじんわりとほぐれていく。「おいしい」とため息をつくと、カウンターの向こうで羽間が微笑んだ。
 おいしい食事は、薬のようだ。友里香は、どうしても仕事の愚痴を言いたくなったら、羽間の店を訪れた。
 たいていのことは、ここでおいしい料理を食べて、お酒を飲むうちに忘れてしまう。愚痴も弱音も吐かずに済むなら、そのほうが友里香にとっては楽だった。
 隣にいるのは、最近、この店でたまに見かける男だ。いつもは一番奥の席に座り、ひとりで料理をつついている。
 けれど今日は混雑からか、友里香の隣に座っていた。
 羽間と同級生だと言ったから、友里香より三つ年下、二十六歳のはずだった。
 茶色く染めた長めの髪は、少なくともサラリーマンではなさそうだ。チェックのネルシャツを羽織り、膝の抜けたジーンズを穿いている。
 ともすれば野暮ったい服装がさまになるのは、長身と、整った顔のおかげだろう。友里香よりも頭ひとつぶん大きな背丈、均整のとれたからだつきは、モデルといっても通用しそうだ。

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