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ルージュライン[残業はベッドの上で]

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広瀬もりの

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【お試し読み】残業はベッドの上で

「仕事中に電話してこないでって、いつも言ってるでしょう!?」
 昼下がりの五階エレベーターホール。背の高い観葉植物の陰に立っていた片山美都(かたやまみと)は、声が大きく響いているのに気づいて慌ててトーンを下げた。
「先月はすごく忙しくて……今週末はどうにか帰れるようにするから」
 半ば強引に会話を切り上げ、暗くなった液晶画面に向かって唇を尖らせる。
「……もう。お母さんってば、ホント自己中なんだから」
 ふと窓の外に視線を向けると、そこには晩秋の暖かな日差しに照らし出された都会のビル街が広がっていた。
 輸入雑貨を扱う倉田産業の主な取引先は地方の小売店や工場。入社した当初は前社長が現役で、昔ながらの経営が行われていた。その後データベースをオンラインに移行することになり、専用ソフトを使いこなす美都は若手ながら重宝されている。
 聞き慣れない専門用語とも必死で格闘しているうちに、気づけば入社から三年。学生時代から付き合っていた彼とはすれ違いが続いて別れ、恋愛からもずいぶん遠ざかっている。
 窓ガラスにぼんやりと浮かび上がるのは、自然な癖毛をそのまま肩の下まで伸ばし、メイクも控えめな自分の姿だった。一時は凝っていたネイルアートもご無沙汰になっている。
「片山さん、こんなところにいたのか」
 不意に背後から声を掛けられ、美都はハッとして振り向いた。
「あ、社長!」
「デスクにいないから、どこへ行ったのかと思ったよ」
 長身の彼が立つと、ホールの天井が低く感じられる。三十歳という実年齢よりは落ち着いて見えるが、この倉田真也(くらたしんや)は社長と呼ぶのが不似合いなほど若い。
「すみません、すぐに戻ります」
「どうしたの、なにか急用でも?」
「あ、いえ……実家から電話がかかってきたんです。無視してると会社にまでかけてきちゃうんで。先月一度も帰らなかったじゃないって、文句言われました」
 大げさに首をすくめてみせると、彼は低く笑う。
「ご両親も心配なさっているんだよ、たまには元気な顔を見せてあげなくちゃ」
「でもこの前なんて、騙し討ちでお見合いの席に連れて行かれたんですよ。勘弁してって感じです」
「へえ、片山さんもそんなことがあるんだ。実は僕も先日、父から見合い写真を何冊も見せられたよ。どこの親も考えることは同じだね」
 その光景が容易に想像できて、美都は声を立てて笑ってしまった。
 去年、前社長が現役引退を口にした時には、社員一同が騒然とした。還暦を迎えるとはいえ、まだまだ一線で活躍できる気迫がある。それなのに何故と、皆が首を捻っているところに颯爽と現れたのが、彼の息子である真也だった。
「前社長、いつも仰ってましたよ。早く孫の顔が見たい、ウチの息子は仕事ばかりで女性にはとんと縁がないから困り果ててるって」
「ひどいなあ、本人がいないところでそんなことを言ってたんだ」
 倉田は参ったなと額に手を当てる。照れ笑いになると、引き締まった彫りの深い顔立ちが幾分和らいで見えた。
「社長はその気になれば、いくらでもお相手が見つかりそうですけどね」
「そうかな。……でも今は、結婚よりも仕事が優先だな。社長としてまだまだ努力しなければ」
「私もです! 私、今はこの会社で頑張りたいんです。そして社長のお役に立てるよう、スキルアップしたいと思っているんです!」
 ついついヒートアップしてしまい、美都は慌てて口をつぐんだ。倉田も少し驚いた顔をしている。
「それは光栄なことだね、君のような心がけの社員がいてくれるのは本当に心強いな」
 嬉しそうに応え、時計に目をやる。
「おっと、雑談が過ぎてしまったね。片山さんに話があったんだ。あとで社長室まで来て欲しい」
 彼はそう言うと、普段どおりの優しい笑顔を向け、悠然と去っていく。その後ろ姿を美都はうっとりと見送った。
 ――気持ちに余裕があると、身の回りのことも気遣えるのかな……。
 滑らかな光沢のある生地で仕立てられたスーツは見るからに高級品だ。広い肩幅と長い手足にぴったり合っているから、オーダーに違いない。足下の靴もきちんと手入れされている。どこから見ても隙のない、完璧な装いである。
 ――いったい何の話だろう。
 新社長に就任して一年足らず。それまで厳しい局面に立たされていた会社の業績を、倉田は短期間でめざましく回復させた。
 新しい顧客の獲得、新商品の導入。多少強引な方法を取ることもあったが、彼の采配には必ず勝機があった。千の言葉で説得するよりも、確実な実践力で我が道を突き進む。その仕事ぶりに惚れ込み、触発された社員は多い。美都もまたそのうちのひとりだった。
 ――人として、ひとりの社会人として心から尊敬できる。せっかく素敵なお手本がすぐそばにいるんだから、少しでも近づけるように見習っていかなくちゃ!
 美都は決意も新たに社長室へと向かった。

「そこに座ってくれるかな」
 倉田が指し示したのは、来客用のソファー席だった。
 社長室に呼ばれるのは、資料の提示を求められる時くらいだ。普段であればデスクの椅子に座った社長から、立ったまま指示を受ける。
「コーヒー、ひとつは片山さんの分だから」
 不思議に思いつつも腰を下ろす美都の前で、彼はゆったりとした身のこなしでコーヒーを口に運んだ。
「まずは、これを見てもらえる?」
 目の前に、小さな持ち手付きの紙袋が置かれる。
「今後我が社で取り扱いを検討している商品なんだ」
 今の社長になってから、会社が取り扱う商品も様変わりした。以前は工業用の塗料や資材などがメインだったが、最近では機能的デザインの家具や家電、文具などが増えている。いずれも倉田のセンスで選ばれたお洒落な製品ばかりだ。次はどんな分野に手を広げるつもりなのだろうか。
 期待に胸を膨らませながら中を覗いてみる。
 商品は、淡いピンクの不織布で包まれていた。シャーベットピンクの四角い箱が大小三つ。箱の中には円筒形の容器が入っており、白地にピンクの花びらがたくさん散っていて可愛らしい。
「これは、女性向けのボディケア用品ですか?」
「ボディとメンタル、その両方をケアする商品と言った方がいいかもしれない。製造元はイタリアだ」
 倉田はそこで一度言葉を切ると、テーブルに置いた両手を組み直して身を乗り出す。
「片山さん、これらの商品を扱う担当責任者になってみない?」
「え……」
「今回の新商品は見たとおり女性向けなんだ。直接肌に触れるデリケートな商品だけに女性の担当者の方がいいと思ってね。片山さんはどんな仕事も真面目にこなすし、初めてのことにも常に意欲的に取り組んでいる。さっきの発言を聞いて、やはり君以上の適任者はいないと判断した」
「担当責任者って……その」
 美都は主に会社が取り扱う商品の在庫管理を行っている。商品担当の社員と接する機会も多くあるが、海外の販売元とも直接交渉を行い、時には現地に赴くこともある彼らは、社内でも有数のやり手社員ばかりだ。自分のことを高く買ってもらえるのはありがたいが、果たしてやりこなせるだろうか。
「もしも引き受けてくれるなら、商品を実際に試す事前モニターになって欲しいとも思っている。品質は保証されているものの、あくまでも外国製の商品だからね。日本人の体質に合うかチェックする必要がある。普段は僕が自分で試してみるんだが、あいにく今回は女性を対象にしているからそうもいかない」

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