ルージュライン[お嬢様小説家のキケンな同居生活]
電子書籍化決定!「こんなに濡らして、素直な体ですね。僭越ながら、お嬢様にはすべて私がお教えします――無論、ベッドの中のことも」過保護な執事も夜はオオカミ!? 溺愛ロマンス♪ お嬢様小説家のキケンな同居生活 ~過保護執事に愛されて~
三津留ゆう
【お試し読み】お嬢様小説家のキケンな同居生活
生まれ育った屋敷の窓から見えるのは、ただ広い空と、見渡す限りのよく手入れされた庭園だけで、そのことが別段変わっているとも思わなかった。
でも……。
「今のお部屋の窓からは、お隣のお宅が見えるんですよ。驚きました!」
窓際で携帯電話を片手に、つい興奮して声が大きくなってしまう。
『あのねえ、明乃(あけの)ちゃん。それ、庶民にとっては普通だから』
電話の向こうでおかしそうに笑っているのは、私の担当編集者である早瀬(はやせ)さん。三十二歳と若いのに、なぜかバブルの残り香がある人だ。
「私にとっては特別です。この距離なら、憧れのシチュエーション──お隣に住む幼馴染のお兄ちゃんとの恋も、全然夢じゃありません!」
『だからね、今引越してきてる時点で、幼馴染ってところから無理でしょ? 諦めて、俺にしときなって』
早瀬さんの笑う声に、私は受話口に耳を当てたまま、ぷうっと頬を膨らませた。甘い顔立ちに甘い声、いつでも小洒落たスーツを着ている早瀬さんは、黙っていればきっとモテるだろう。なのに振られてばかりいるのは、女の子と見れば片っ端から口説いているからだ。
いつもならここで、「からかうのはやめてください」と文句のひとつも言うところだけど、今日はさすがに違っていた。
憧れの、ひとり暮らしを始めたのだ。
私はうっとりとため息をついて窓から離れ、屋敷から運んできたチェアへと深く腰掛けた。長く伸ばした栗色の髪が、ふわりと揺れて肩に落ちる。お気に入りの家具は、エレガントなアイボリーのデスクチェア、ソファやドレッサー、スツールに、天蓋つきのベッドに至るまで全部がお揃いのロココ調だ。
『引越、今日だったんだよな。男手がないと、大変なことも多いだろ? 手伝いに行こうか?』
新しい生活に、気持ちが弾んでいるからだろうか。受話器から聞こえる早瀬さんの声も、心なしか楽しげに聞こえた。
けれども私は、ふるふると首を振る。
「いいえ、けっこうです」
だって今朝、家を出てくるときに、おおげさに涙をこらえるお父様に懇願されたのだ。「いいかい、明乃。男を部屋に上げてはいけないよ。男は狼、おまえみたいな可愛い娘は、ぺろりと喰われてしまうんだから」。
恋愛だってしてみたいから家を出るのだなんて、とてもじゃないけど言えるような雰囲気ではない。
そうは言っても、私も今年で二十四歳。私だって、誰かのためになる仕事をしたい。もっと自由に外に出て、恋愛もしてみたい。
そう思って、お屋敷の中でこっそりとできる唯一のこと──小説を書き始めたのが、一年と少し前の話。書き上げた恋愛小説を、新人賞に投稿したのだ。
憧れのオフィスラブを書いたその作品は、幸運にもある文学賞を受賞した。発表直後から「女の子の理想の恋だ」と話題になり、処女本は重版に次ぐ重版、信じられないことに、映画化の話まである。
『遠慮すんなって。あ、あれだよ、下心とかないよ? 編集者として、担当してる作家のケアは当然だからな』
「お気遣いありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。久我城(くがじょう)もおりますし」
私は傍らに立つ、久我城玲(れい)の顔を見上げた。
クラシカルなフロック・コートに身を包んだ久我城は、眼鏡の向こうの穏やかな瞳を、笑うかたちにたわませる。幼いころから、ずっと側にあった笑顔だ。
『え、久我城くんも連れてきたの?』
驚いたような声を上げる早瀬さんに、私は目を瞬いた。
「ええ……それが何か?」
『明乃ちゃん、ひとり暮らしするんだって言ってなかったっけ』
「はい、そうですが?」
私よりも五歳年上の久我城は、いつも半歩後ろで私のことを見守ってくれていた。
久我城は背がすらりと高く、手足だって優美に長い。銀縁の眼鏡と相まって、涼やかな顔立ちは、向かい合う人に知性を感じさせる。
そんな彼をお父様も気に入っていて、「会社を継がないか」とことあるごとに持ちかけているようだけれど、久我城にその気はないらしい。「私は明乃様の執事ですから」と、お父様の誘いをかわし続けているという。
そう、久我城は私の執事だ。そして使用人は、家族のひとりには数えない。
「ですから、ひとり暮らしですよ?」
『でもさぁ……』
早瀬さんが、なぜだか言いにくそうに言葉を濁す。
「? 何でしょう」
『久我城くん、別の部屋でも借りてるの?』
「いいえ?」
『じゃあ今までどおり、明乃ちゃんちに住み込みで働くってこと?』
「ええ、もちろん」
『ってことは、今日からはひとつ屋根の下にふたりっきり?』
「そうなりますね」
『……それ、やばくない?』
「やば……?」
早瀬さんは、何を言っているのだろう。私は思わず受話口から耳を離し、携帯電話を見つめながら首をひねった。
「僭越ながら、お嬢様」
久我城のやわらかなテノールが、私の耳に心地よく流れ込んでくる。
彼はとっても耳がいいらしく、電話で私が話している人の声をすべて聞き取れてしまうのだそうだ。内緒話をするように、耳もとに唇を寄せてささやく。
「早瀬様は、未婚の男女が生活をともにすることを問題視されているのではと存じます」
「ああ! そういうこと!」
私はぽんと手を打った。
そういうことなら、私にもわかる。私の書く恋愛小説でも、王道のパターンだ。
ひょんなことから、ヒーローとヒロインは同居生活を強いられる。始めは反発していたふたりだけど、暮らしをともにすることで、いつしか理解し合うようになる。おたがいに大切な存在であることに気づいたふたりは、誰にも邪魔されない愛の巣で、あんなことや、こんなことを……。
「いかがなさいましたか、お嬢様?」
あらぬところまで妄想が──いや、構想が広がっていた。はっと我に返ると、久我城の顔が目の前にある。
「きゃああっ!?」
眼前に迫る久我城の端整な顔立ちに、とっさにヒーローを重ねてしまった。すっかりヒロインになりきっていた私は、かあっと頬を熱くしてしまう。
「あ、ああああり得ませんっ! 久我城は執事です、執事はいつでも主人の側にいるものです!」
きっと赤くなっているだろう頬を、久我城に見られたくなくて、思いっきり顔をそらす。
「は……早瀬さん! いじわるを言うのはやめてください!」
『へえ、意地悪だってさ。かーわいいなー』
けらけらと笑う早瀬さんの声に、私は携帯電話を握りしめた。
こうなったのも、早瀬さんが変なことを言うからだ。私は無理矢理、当初の目的に話を戻した。
「そんなことより、お打ち合わせの日程です!」
『そうだ、ごめんごめん。じゃあ再来週の水曜日、十三時からでどう?』
「再来週の水曜日、十三時ですね。久我城、どうかしら?」
久我城を振り返ると、彼は「可能でございます」と頷いた。私のスケジュールは久我城がすべて把握し、管理してくれている。
『場所はどうする? 俺が行こうか、明乃ちゃんち』
「いえ、編集部までおうかがいします。そのために家を出てきたんですもの!」
私はぎゅっと携帯電話を握りしめた。
両親に管理された屋敷では、自由に外出するなんて不可能だった。でも、やっとこうして、ひとりで外に出られるようになったのだ。
新しい冒険に漕ぎ出す船に乗り込んだ、主人公みたいな気分だった。自分でいろんなところへ出かけていって、たくさんのものを見たり、聞いたりしてみたい。