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ルージュライン[花一輪の逢瀬]

甘くときめく後日談を書き下ろしで収録!「貴女は可愛くて……たまらなく魅力的だ」花一輪を介してゆるやかに育む、甘くて優しいロマンス! 花一輪の逢瀬 ~とびきり甘い運命の恋~

喜多リリコ

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【お試し読み】花一輪の逢瀬

【プロローグ】

 時計の針は十二時十五分を指している。水曜日の昼時になると、私は何度も時計とドアのあたりを見ては、ある常連客の来店をソワソワしながら待っている。
(あ……)
 ショーウィンドーの向うに人影が見えた。カランカランとドアが鳴る。
「いらっしゃいませ」
 軽く会釈を返しながら入ってきたのは、ピシッと濃紺のスーツを着こなした背の高いビジネスマンだ。毎週水曜日のこの時間に来店して、まず店内を一周ゆっくりと見て回る。
 花を眺めながら時折、足を止める。短い髪が、日にあたると少し明るい色に見える。ちょっとワシ鼻になった鼻や高い頬骨が男らしく端正だ。
 私は伝票を整理するふりをしながら、見惚れるように目線を向けてしまう。
「すみません」
 店内を一周歩いた男性は、レジの前に立つ。背が高いので顔をずいぶんと上げる必要がある。
「一輪、花をいただけますか。種類は何でも構いません」
 男性は低く落ち着いた声でいつも同じことを言う。
 今日は、ほころび始めた初々しいローテローゼというバラを勧めた。毎週のことなので花の種類を替えながら、その日一番綺麗だと感じたものを勧めるようにしている。男性は何を勧めても「では、それを」としか言わないのだけれど。
 スーツの内ポケットから黒い長財布を出し、いつも千円札で支払をする。
 おつりを渡し、簡単に包装した花を手渡せば、節の目立つ大きい手が受け止める。そうして「ありがとうございます」とふっと微笑む。その目じりにシワのできる笑顔から人柄の良さが透けて見える気がする。
 真っ赤なバラを一輪持って男性客は帰っていった。
 私がスタジオ併設のフラワーショップで接客しているのは週に一度だけだ。ショップはスクール生が花材を買いに来るだけでなく、一般のお客さんも多い。繁華街も近いので、キャバクラやホストクラブへの納品も多く、人の出入りは頻繁だ。
 週に一度しかショップで接客をしない私が、この一年で覚えたお客さんの顔はそう多くはない。
 その男性客の顔を私が覚えたのは、昼休みの時間帯に花を買いに来るスーツ姿の男性客が珍しかったというだけではなかった。
 まず背がとても高い。スタジオのスタッフや生徒さんも女性ばかりの環境で、一九〇センチはありそうな長身は印象的だった。花をゆったりと眺める様子も、「一輪だけ」というオーダーも併せて、二度目の来店で「あの人だ」と気づいた。
 一輪だけの花は、オフィスに飾るのだろうか。
 こんな身体の大きな人が、普通の事務机に座っているだけでも窮屈そうなのに、そこに花を一輪飾るのだろうか。
 それとも、会社の受付に? 応接室に?
 オーダーらしい身体の線にあったスーツ、清潔感のある佇まい、微かなフレグランスから察するに、接客をする仕事なのだと思う。オフィスはきっと近くにあるはずだ。十二時を回ってから来店するまでの時間は、大抵十五分くらいだから。
 立ち姿が綺麗なのと、動作の一つ一つに余裕があるのは、スポーツをしていたからではないだろうか。今もしているのかもしれない。鍛えられた身体をしているのがスーツ越しでもわかる。
 いつしか私は、ショップで接客をする水曜日の度に、その日勧める花を選んでは、男性客が来るのを楽しみにするようになっていた。
 二ヶ月ほど経ったある日、思い切って声をかけてみた。
「お花、お好きなんですね」
 すると男性客は手渡したピーチピンクのガーベラを受け取って、とても素敵な微笑みを見せてこう言った。
「ただの下心です」
 唖然としている間に、男性は会釈をして帰っていった。
 どんな人に贈るのだろう。
 あの人が花を贈りたくなるような女性というのは、一体どんな人なのだろう。あの人は花を買ったその足で誰かに贈りに行くのだろうか。それとも、仕事帰りのデートの時にでも渡すのだろうか。
 次の週に、
「贈物ですか?」
 と尋ねてみた。
 以前も「ギフト用ですか?」と確認して、「いえ」という回答を何度かもらっていたのだけれど、先週のやりとりがあったので改めて尋ねてみた。
「いえ、デスクに飾るだけです」
(……オフィスラブなのかな)
 そんなことを思いながら、「うまくいくといいですね」と言った。
「私も、そう願っています」
 爽やかな笑顔でそう言うと、男性客は帰っていった。


【第1話】


 その日の感動が、私の人生の彩りを変えた。
 私の、ごく平凡なОL、新堂(しんどう)奏子(かなこ)の単調な通勤ルートで唯一の楽しみと言えば、毎週替わる『SHIGENOフラワースタジオ』の大きなショーウィンドーのアレンジメントを眺めることくらいだった。季節の花がいつでも綺麗に飾られて、ロールスクリーンを背景に、まるで壮大な絵画を見ているようだ。
 花に特別な興味があったわけではなかった。生け花の経験もない。園芸やガーデニングが趣味だったわけでもない。中学高校と部活は美術部で、絵のモチーフとして花はよく選んでいたし、花の絵で賞に入選したこともあったけれど、好きだった絵でさえ美大に入ろうと思うほどではなかったのに、花となれば尚更だ。東京の女子大に入って、そのまま東京で会社の事務職についた。
 新卒入社から一年半、代わり映えのしない毎日を送る普通の会社の事務員がフラワースクールのアレンジメントを毎週楽しみにしていたという、ごく普通のありふれた話だったはずだ。
 けれど――その日私は出会ってしまった。滋野(しげの)世志乃(よしの)の作品に。
 ショーウィンドーいっぱいにヒマワリをあしらったアレンジメントだった。決して凝った作品ではない。その後、私は世志乃先生の作品に数多く触れることになるけれど、そのヒマワリのアレンジメントは、世志乃先生の作品としてはかなり独特な雰囲気のものだった。
(風が……)
 広大なヒマワリ畑の風を感じ、日差しを感じ、土の匂いを感じた。どこか懐かしいような、郷愁を誘うような。

 朝にショーウィンドーのアレンジメントを見て、その日の昼休みにスクールの門を叩き、終業後に体験レッスンを受けた。
「見学にいらした方ね。どうぞ、ゆっくり楽しんでいらして下さい」
 教室を出たところで、たまたまスクールの様子を見に来ていた世志乃先生と行き会った。
(うわ、本物の滋野世志乃……!)
 以前から世志乃先生のことは知っていた。テレビで観たこともあるしファッション誌の広告でも見たことがある。六十才くらいの上品な人だ。
「お花、好き?」
 にっこりと微笑んだその優しげな表情につられて、私は今飾られているディスプレイに惚れ込んで見学に来た旨を熱っぽく、勢いのままに伝えていた。後になって思い返すとずいぶん大胆なことをしたと思うけれど、その時は、あのヒマワリのアレンジメントに触れた感動の余韻が続いていたのだと思う。
「田園風景の……風の匂いを感じたような気がしました。本当に、風が吹いて来たみたいに」
 後で世志乃先生から聞いたところによると、その時の私は、それはもう目をキラキラさせて、頬を真っ赤にして、子供のような表情だったそうだ。
「あら。私もそう思ってたわ」
 世志乃先生はとてもエレガントに微笑んで、「うちで、働く?」と尋ねた。
「はい」
 私は、躊躇いなくそう答えていた。

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