WEBマガジン{fleur}フルール

登録不要&閲覧無料!! 男性同士の痺れるような恋愛(ボーイズラブ)が読みたい貴女へ。ブルーライン
トップ ブルーライン 南極パブロフ~快楽をねだる身体~ 【お試し読み】南極パブロフ~快楽をねだる身体~

ブルーライン[南極パブロフ~快楽をねだる身体~]

WEB掲載ぶんに書き下ろし&嵩梨ナオト先生のイラストつきで電子書籍化決定! 南極パブロフ~快楽をねだる身体~

ナツ之えだまめ

【お試し読み】南極パブロフ~快楽をねだる身体~

 足音がした。
「あ」
 狩野(かのう)の心臓の音が大きくなった。
 ああ、彼が来る。亜久津(あくつ)が。この居酒屋の第××次南極越冬隊慰労会会場に向かって廊下を歩いてくる。自分はこの場にいる誰よりも早く、彼の足 音を聞き分けられる。そして身体の奥から欲望が、自分ではどうしようもない情動が、熱くこみ上げてくる。彼の足音に忠実に反応して涎(よだれ)を流すリビ ドー。餌をやるときにベルを鳴らしていたら、音だけで反応するようになった、あの有名な博士の犬みたいに。
「遅れてすみません」
 声と共にからりと引き戸があけられた。入ってきたのは、やはり亜久津だった。一瞬、目が合ったが、彼はすぐにそらした。
 亜久津は身長百八十五センチ、トライアスロンと筋トレが趣味なだけあって、堂々とした体躯の持ち主だった。睫毛も眉毛も濃くて、じっと見られるとそれだけで言葉を発せなくなるほどの迫力がある。
 彼が座を見回している。自分の隣は少し空いている。周りに言えば詰めてくれるだろう。だが、狩野はそうしなかった。むしろその隙間をさりげなく狭めていった。
「亜久津ー。こっち来いよー」
 一人が狩野から少し離れたところから、手を挙げる。その声に誘われるように彼はそこに座を定めた。
 亜久津は狩野より五歳下、もうすぐ二十七になるはずだ。越冬隊での業務は雪上車の点検整備で、一番若く、よく気がつき働くのでみなに可愛がられていた。
 一方、狩野は高等研究所で動物生態学の助教をしており、ペンギンの研究調査のための参加だった。
 南極は冬には氷に閉ざされる。一昨年の十一月から今年の三月までずっと同じ二十八人の顔を見て過ごした。もう見飽きたとばかりに成田で解散したのに、 二ヶ月経った今では、こうして会うとすでに「懐かしい人」になっている。ここには越冬隊に参加していた二十代から五十代の男女二十名ほどがいるのだが、な んだかケンカしても仲のいい兄弟みたいだ。
「食べたかったのは、やっぱり生野菜だよなあ」
 初老の越冬隊長が、サラダの薄切りキュウリを箸でつまんで持ち上げて、しみじみと言った。ほかのメンバーも賛同する。
「キュウリとかさ、特になんとも思わなかったのになあ」
「帰った当初は食べるたびに涙出ましたよ、私」
「あー、わかるー。匂いが苦手だったのに、今では俺、一番の好物になったわー」
 狩野もうなずく。ほわほわとした茶色がかった前髪がその動作にあわせるように揺れた。
「いいの、カノさん」
 隣の席の植木(うえき)に腕をつつかれる。
「え、なんですか?」
 植木は五十過ぎにして南極を目指した女医だった。安定感のある体格と気っぷのよさから、この越冬隊でついたあだなは「植木の姐(あね)さん」である。
「亜久津くんよ。積もる話があるんじゃないの。カノさん、仲良しだったじゃない」
 そう言われると冷や汗が出る。
 仲良し。その一言で済まされる関係であれば、屈託なく彼を隣に座らせることができたものを。
「いや、いいんですよ。特に話すこともないし」
 そう言ってビールジョッキを手にする。うかがい見れば、亜久津もビールを飲んでいた。
 彼は、帰って以降は東京で研究開発職についていると隊員の誰かが噂していた。だから、なのか。あの手は。南極にいた頃、機械油を落とすために荒れていた 手は、今はすっかりきれいになっている。けれど、ジョッキを持つ彼の無骨な指の形は記憶にあるままで、それにされたことを否応なく思い起こさせる。
 ――狩野さん、いい? 俺はもう、よすぎて……出そう……っ!
 快楽の頂点に歪む顔さえ。
 何を考えているんだと自分を叱咤(しった)するのだが、彼が話している口元を見ればそれがどう動くかとか、唐揚げをのせたあの舌が自分のペニスに絡んだ こととか、そしてまた自分も、彼のそりかえったたくましい性器に手のひらを、そして唇をつけたこととか。そんなことばかりを思い出してしまう。とんでもな くはしたない人間になったみたいだ。
 成人した男子なのだから性的なものに興味があるのは当然としても、欲望は自分のすべてに染み通るように滲んでいて、切り替えが上手くできない。このまま支配されてしまいそうだ。
「ちょっとトイレ」
 小声で言い置いて席を立った。
 特に差し迫った生理現象があったわけではなかった。少し考えごとをしたかっただけだ。
 個室トイレの蓋の上に座り、肩の力を抜く。
 当初の自分たちは、確かに単なる「仲良し」だった。越冬隊の中では比較的、年の近い、気の合う仲間に過ぎなかった。
 あの日まで。
 狩野が南極で遭難したときまでは。


続きは2015年4月15日配信開始フルール文庫ブルーライン「南極パブロフ~快楽をねだる身体~」でお楽しみください。

▲PAGE TOP