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ブルーライン[どうにかなればいい]

WEB掲載分に書き下ろしを加えて文庫化! どうにかなればいい

ナツ之えだまめ

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【お試し読み】どうにかなればいい

 門松が取れ、正月気分も抜けてきた頃。
「早川ディスプレイ」社長代理、早川誠二(はやかわせいじ)は堤防下、川沿いの一方通行の道を運転していた。
 廃車置き場の隣に、ひずんだ星か桜の花のような形の木の看板が現れる。熱帯のジャングルの濃い緑と、宇宙まで突き抜けそうな青と、とぷりと音がしそうな熱い太陽の黄で「ディスプレイオブジェ/デザイン工房オゴホゴ」と書いてあるその看板を目印に誠二はハンドルを切った。駐車場に根を張っている巨大な桜の木にこすらないように気をつけて、オゴホゴの所有する黒のワゴン車と白い軽トラックの隙間に割り込むようにドイツ車をとめる。「オゴホゴ」とはインドネシアのお祭りには欠かせない、張りぼて人形を載せた神輿だと桑原大介(くわはらだいすけ)に教えてもらったのはいつだっただろうか。
 バックミラーでメタルフレームの眼鏡の角度を確かめる。自分の顔を見るたびに、次期「早川ディスプレイ」社長としては決定的に貫禄のない女顔がいやになる。顎にあるごく小さなほくろが色白なせいで目立つ。髪や目の色もカラーリングやカラーコンタクトをしているのかという色の薄さだ。
「絶対に『うん』と言わせてみせる」
 自分に言い聞かせるように口にすると、右側の助手席シート、コートの上に置いてある卓上時計を手にする。それは時計にしては奇妙な色と形をしていた。人の拳ほどの大きさでごつごつしており、色はアケビのようなくすんだ紫。デジタルの文字盤は「零玖伍肆」となっている。大字(だいじ)と言われる漢字で数を表したもので、今のこれは〇九五四、すなわち九時五四分を示しているのだ。この、アケビ色の時計は早川がオゴホゴの主である桑原と出会うきっかけとなったものだ。もう十五年、時計は誠二に何度も握りしめられたせいでところどころ色が剥げかかっている。それを手にする。そうすると表面からこの色と形の持つ原始的なエネルギーが自分の中に入り込んでくる気がした。
 ――うまく桑原大介を説得して仕事を受けてもらえますように。
 祈る。離す。
 それから書類を確認すると、誠二は車を降りる。コートは車の中に置いてきた。川からの風が吹きつけ身をすくめる。よく磨き抜かれた靴が駐車場の不揃いな砂利を踏みしめた。誠二は、桜の大木の倍ほどの高さの工房を見上げる。鉄工所をリフォームした工房オゴホゴの外観は無骨だ。明るい灰色のスレート波板の壁。駐車場に面して左端と右端には手前に開くドアがあり、それぞれ台所と事務所に通じている。さらにふたつのドアのちょうど真ん中には、搬入出用に両側にスライドする扉があった。あけるときには大のおとなが渾身の力を込めなくてはならない、大扉だ。明るいオレンジで塗られているその扉は、今はしっかりと閉じられている。
 誠二は右の、事務所に通じるドアをあけた。
 ノートパソコンへの入力作業をしていた経理営業兼任の篠崎(しのざき)が、三つ揃いを着た誠二を見て驚いていた。
「誠二さん、スーツなんですね」
「あ、うん」
「初めて見ます」
 そういえばそうだ。
 工房は誠二の家から近く、しょっちゅう遊びに来ていたが、誠二がオゴホゴを訪れるときには休日だったので私服か、下手をするとジャージだった。今日は仕事で来たのでスーツを着用している。
 篠崎はいつものようにつなぎを着ていた。彼は椅子から立ち上がると近寄ってきてしげしげと誠二を見る。そばかすの目立つ篠崎は、猫背なために実際よりも小柄に見えた。
 リノリウム床の事務所は八畳ほどの広さで、左手のドアは作業場に通じている。正面に設置されたホワイトボードには工房のメンバー三人――桑原、篠崎、小野口(おのぐち)――各々の作業工程が詳細に書き込まれていた。ロッカーとファイルキャビネットが右手に備え付けられ、部屋の真ん中にはまるでお茶の間にちゃぶ台があるかのように大きめの会議机が置かれている。会議机の両側には椅子が三脚ずつ、入れ込まれていた。
「なんだか照れるな」
「いえ、見慣れなかっただけで。お似合いですよ」
 そう言いながらも彼は額に皺を寄せ考え込んでいる。早川ディスプレイは現在工房オゴホゴに仕事を発注している。そちらに何かあったかと考えているのだろう。
「『秘密の森の美術展』に出す『虹色フクロウ』の進捗状況を視察に来られたんですか? 今のところ、順調ですけど」
「秘密の森の美術展」とは、「秘密の森にいる動物たち」というテーマで三月中旬から四月はじめにかけて都内の美術館で開催される小規模アトリエ中心の現代アート展だ。大手新聞社が主催、系列メディアが後援、早川ディスプレイは企画協力となっているが、実際の運営はほぼ早川ディスプレイに一任されていた。この美術展では二十のアトリエが各自指定された動物を担当する。工房オゴホゴは順路でいうと最後となる「森の賢者・虹色フクロウ」制作を担当することになっていた。
 工房オゴホゴから早川ディスプレイに提出された仕様書によると「虹色フクロウ」は全長百十二センチメートル、翼は閉じた状態で幅七十三センチ、開くと二メートル十センチとある。実際のシマフクロウを基本としつつもハート型の羽毛に覆われた顔はユーモラスな表情変化をし、濃褐色の翼を広げると羽裏は虹色に輝く。実際は、光の角度によって五種類の色を発する「イルミナージ」という分光性特殊塗料を十八種類使い分けて、虹の色のつらなりを表現する。フクロウが翼を広げる瞬間は、さながら、地味な表地の裏に紅絹(もみ)をあしらった羽織がはためいたかのように、鮮烈な印象を与えることだろう。
「フクロウは進行表通りですけど。何か?」
「いや、別件なんだ。桑原さんは? 作業場のほうかな?」
「ええ、すみません。誠二さんが来ることは伝えてあったんですけど、今、ちょっと立て込んでいて。声をかけてみてくれますか?」
「わかった」

 誠二が桑原大介と出会ったのはまだ眼鏡をしていない、中学一年生の秋だった。
 その半年前、四歳年上の兄が亡くなった。珍しく家にいた父親が兄を少し離れたテニスの大会会場まで送っていく途中、交差点で信号を無視して突進してきた大型ダンプに左から激突されたのだ。車は大破。兄は即死。父は今でも後遺症で左足が不自由だ。
 その事故が起きる一瞬前まで、誠二は第一志望の中高一貫校に合格したし、兄はテニスの選手に選ばれて、春で、暖かくて、庭のコブシや桜が次々と咲いて、早川家は柔らかな光に包まれていた。あの光はきっと満ち足りた幸福のヴェールだったのだろう。それがいきなり寒の戻りが来たかのように、いや、いっそ明けない夜が来たかのように引き剥がされ、自分たちは底のない暗い穴に叩き込まれた。
 いくらなんでもこれはないだろう。そう思った。いきなりこんなやり方はないだろう。これは何かの間違いなんだ。
 人は無意識のうちに未来を予想しているものだ。兄が会社を継ぎ、自分は好きな映画に関連した仕事に就けたらいいなとぼんやりと願っていた。だが、兄がいなくなってすべてが変わってしまった。誠二が会社を継ぐことを両親が期待するようになり、それを振り切ることは五百人規模の会社の根底を揺るがすことだと知ったとき、誠二はほかの道をあきらめ、会社を継ぐことを受け入れた。
 なんでこんなことになったんだろう。

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