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表紙&口絵イラストつきで電子書籍限定配信決定!手の届かない男に恋焦がれた香矢の危険な“火遊び”とは――。 つないであなたのものにして

葵居ゆゆ

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【お試し読み】つないであなたのものにして

 人の感情はそれほど複雑じゃない、と香矢(こうし)は思う。読み取るのが難しい感情なんてめったにない。嫉妬の薄暗い色や、得意気になったときの膨れた熱、喜びのぱちぱちした波。
 欲望はひたひたと揺れている感じがする。香矢はその今にも溢れそうな雰囲気を感じ取りながら、意味ありげな微笑みを相手に返してみせた。よく来るバーのカウンターで、隣に座った男は「高橋です」と自己紹介したのが二十分前、今は前につきあった男の話をしている。ナンパした相手に話すことかよと思うが、彼なりの「俺は損のない相手だよ」というアピールなのだと思えば可愛げがあった。
(香矢は、そうやって皮肉っぽい言い方をしなければ、すごく優しい子なんですけどね)
 ふと苦笑した叔父の顔が脳裏をよぎって、香矢はグラスの中身をあおった。これから男と寝ようというときに思い出したい顔ではない。出がけに鉢合わせて「今日も夜遊びですか?」と眉をひそめられ、久しぶりに本気で腹をたてたばかりだった。
 あんたが悪いんだろ、という台詞を投げつけてやれればすっきりするだろうに、言えば叔父が困ったように顔を伏せるのがわかりきっていたから、香矢は黙ったまま出てきた。
「コウくん? そろそろ移動する?」
 不機嫌が顔に出たのか、高橋が慌てたように声をかけてきた。香矢は咄嗟に微笑み返す。
「そうだね、そうしようか」
 年上相手でも敬語を使わないのは、高橋にはそのほうがよさそうだから。もの慣れて美しいゲイと寝る、という彼の夢を無下に壊すのも大人げない。香矢が微笑むと、彼はあからさまにほっとした。
「コウくんてほんと、美人だなあ」
「ありがとう」
 微笑んで、嬉しくないよと心の中だけで言い返す。どんなに見目よくたって、射止めたい相手に振り向かれなければ意味がない。
 コーヒーを淹れるのも家事をちゃんとするのも誰のためだと思ってるんだろう、と恨みがましく思いながら立ち上がったとき、ポケットの中でスマホが震えた。またかと思ったとおり、メールの差出人は名前のないあのアドレスだった。
『今日もエッチなことをするのかな?』
 聞いてどうするんだ、と香矢は呆れた。スマホをポケットにしまおうとして、思い直してもう一度メールを開く。
 知らない相手からのストーカーめいたメールは、一月ほど前からときどき届くようになった。今日のような質問から、「きみはどんな顔でイくんだろう」という独り言めいたもの、「セックスのときの声が聞きたい」という要求まで様々だ。受信拒否してもまた違うアドレスから同じようなメールが送られてくる。
 今までけっこうな数の男と寝て、メアドを教えた相手も何人もいたが、一度も、誰とも恋人になったことはない。相手もそれは承知の上だから、トラブルになったことはなかった。今回も、気分のいいメールではないが、エスカレートする気配もないので香矢は放置していた。もしかしたら、と思い浮かべた過去の相手が、少しだけ気になったせいもある。
(春之(はるゆき)さん、だっけ。あの人――)
 こんなメールを送るような切羽詰まった人間はめったに相手にしないのだ。春之と名乗った叔父とほとんど歳の変わらないその男は、ゲイバーのパーティで倒れそうなほど緊張しているのを見かねて、めずらしくコウから声をかけた相手だった。あの人ならメールを送ってくる可能性はある。けれど、それなら名前を伏せる必要はないし、文面の雰囲気も彼とは違う。口調は似ているが、彼だったら直接的に会いたいとメールしてくるだろう。以前に、苦しげに電話してきたときのように。
「近くのホテルでいいかな? よく行くところがあるんだ」
 地下の店から上がる階段で高橋が振り返ってそう言った。いいよ、と返して香矢はスマホの画面を操作した。
 エッチなことするよ。
 素早く打って送信し、やや投げやりな気分で微かに笑う。わざと危ない橋を渡るのは叔父へのあてつけだ。見咎めた高橋が「誰にメールしたの?」と聞いてきて、「さあ」と香矢は肩を竦めた。
「誰でもいいでしょう。それより早くしたい」
 わざとらしいほどあだっぽく高橋の腕にすがって微笑むと、ごく、と高橋の喉が動いた。
 簡単な男だ。そのぶん可愛げがあるけれど、これじゃかわりにもなりやしない、と香矢の中で囁く声がする。うまく感情が読み取れて、相手を喜ばせて、ほめられて、求められる。相手が誰であれ、それは香矢を少しだけ満たしてくれる行為なのに、簡単すぎるとメッキが剥がれる。
 本当に尽くしたい相手は、求められたい相手は、絶対に香矢を望んではくれない。

 香矢くんは敏い子なんですね、と叔父の怺嗣(えいじ)が言ったのは、香矢が小学校に上がった年の夏だった。聞いたことのない言い回しに、香矢はびっくりして聞き返した。
「さとい、って?」
「うーん、鋭いってこと、かな」
 言い直されてもよくわからなかったが、黒縁の眼鏡ごしに微笑む怺嗣の目は柔和だったので、褒められたのかな、と香矢は思った。
 褒められるのは慣れていた。香矢は人の機嫌や気分を窺うのが得意で、どうすれば大人が喜ぶのか考えてふるまうような子だったから、大人受けはよかった。
 でも、怺嗣みたいな言い方をされるのは初めてだったし、子供相手に丁寧な口調を崩さないのも、東京の大学でなにか難しい勉強をしているということも、大人たちがどこか遠慮がちに接していることも、全部ひっくるめて彼は特別に思えた。戸惑う香矢に、怺嗣はさらに目を細めた。
「きみみたいに観察眼に優れている子は、研究者向きだから羨ましいです」
「うらやましいの? 叔父さんが、僕を?」
「ええ。僕はどっちかというとにぶいので」
「かんさつがんてなに?」
「さっき従妹の子が泣き出すのを、前もってわかっていたでしょう。それに、昨日は頼まれる前におじいちゃんの肩を揉んでいたし、おやつの分配のときも自分から言い出して、喧嘩にならないようにしたんじゃないかな」
 お盆で、親戚が集まっていたときだった。自分の行動を淡々とした声で上げられ、咎められている気がして香矢は不安になった。表情に出たのだろう、怺嗣は困ったように首を傾げ、「羨ましいんです」ともう一度言った。
「僕は、心理学が専門なので」
「しんりがく? そんなの学校にないよ?」
「学校にないから、面白そうだなと思ったんですよ」
 ぎこちなく、手を伸ばして怺嗣が頭を撫でてくれて少しほっとしたとき、台所で母の呼ぶ声がした。こうちゃん、おやつにするからお姉ちゃんと一緒にお茶運んで。
 はーい、と元気に返事をして立ち上がって、香矢は名残惜しい気持ちで怺嗣を見た。もう少し話をしたかったが、その日の夕方怺嗣が東京に帰ることはもう知っていた。
「叔父さんまた来る?」
「また来ます。もちろん」
 怺嗣はあの柔和な笑みで頷いて、それから少し首を傾げた。
「だから、僕の前では、無理しなくてもいいんですよ」
 あたたかい、労るような声音に香矢は動けなくなった。
 急に手足が冷たくなったのが、当時はなぜかわからなかった。ただ怖くて、やっぱり褒められたんじゃない、と思った。固まってしまった香矢に怺嗣は困った顔をし、立ち上がって、さっきよりも優しく髪を撫でた。
「責めているわけじゃありません。でも、ずっとそうしていたら、きみが疲れると思って」

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