ブルーライン[恋する証拠を確かめようか]
表紙&口絵イラスト付きで電子書籍化! 恋する証拠を確かめようか
いおかいつき
【お試し読み】恋する証拠を確かめようか
「で、どんなタイプだったんですか?」
既に酔っ払った同僚の関口眞美(せきぐちまみ)が、絡み口調で課長の桐生賢吾(きりゅうけんご)に問いかけている。
「どんなって言われても、大昔の話だからなぁ」
すっかり忘れてしまったとばかりに、桐生は遠い目をして天井を仰ぎ見る。
「じゃあ、矢代くんは?」
その間にと、眞美の次の標的は矢代康輔(やしろこうすけ)に移ってしまった。それは何も康輔が桐生の隣に座っていたからだけではない。その前からの話題が関係していた。
四十歳の桐生も三十歳になったばかりの康輔も、社内で一、二を争うモテ男だ。共にほぼ百八十センチの長身で、中年体型になることもなく、スリムな体を維持している。
それだけでももてる要素は充分だが、桐生は明るい性格そのままの派手な顔立ちの男前で、康輔は冷静な性格を表すかのようにきりりとした一重が印象的な二枚目だ。その二人がいつまでも独身でいれば、気になるのも無理はない。理想が高すぎるせいではないかと、酒の席ならではの上下関係を抜きにした砕けた話題で盛り上がっていたところだった。
「俺は覚えてない」
康輔は思い出す素振りも見せず、素っ気なく答えた。
「またまたー。初恋の人だよ? 普通は忘れないでしょ」
「忘れたとは言ってない。どれが初恋だったのか覚えてないだけだ」
康輔の答えに、同じテーブルにいた全員が、意味がわからないとばかりに言葉を詰まらせる。飲み会が始まって以来の沈黙だ。
「それじゃ、最初に付き合った子は?」
「それは向こうから告白されたから……」
「うわ。最低。好きじゃなかったってこと?」
同期だから、眞美の言葉には容赦がない。だが、最低男呼ばわりされても、あながち否定はできなかった。
康輔が過去の彼女たちに対して、本気だったかと問われると、正直なところ違うとしか言えない。誰一人として、別れた後に未練を感じたことはなかったからだ。
「それって、初恋はまだってことじゃない。もしかして、桐生課長もそうなんじゃ……」
眞美は黙ったままの桐生に話を振る。
さっきから桐生は初恋相手を思い出すような素振りを見せていたが、実際には違うことを考えていたはずだ。それに気付いているのは、この場では康輔だけに違いない。
桐生は康輔のいる営業開発課の課長であり、直属の上司ではあるが、もっとも親しい同僚でもあった。プライベートでも飲みに行ったり、休日は仕事抜きのゴルフに出かけたりもしている。だが、そのことは社内では秘密だった。二人で過ごす時間の居心地が良すぎて、第三者に邪魔されないよう、黙っていることにしたのだ。
だから、康輔には桐生が面倒な話題を沈黙でやり過ごそうとしているのがわかった。
「俺はこいつとは違うさ」
適当な言い訳を思いついたらしく、桐生がニヤリと笑う。
「俺の初恋は小学校のときだ」
「同級生ですか?」
「いや、近所の酒屋の未亡人」
桐生らしい答えに、康輔は小さく笑いを噛み殺す。ここで笑うと、きっと眞美たち女子社員の怒りを買うのは間違いない。
「なんだろうなぁ。未亡人特有の色気があって、子供ながらドキドキしたもんだ」
全くの嘘ではないのか、桐生は懐かしそうな顔で言葉を続けた。
「そんなの初恋じゃなくて、ただの性欲です」
「おいおい、酔ってるとはいえ、女の子の言う台詞じゃないぞ」
上司らしく、桐生が苦笑いで眞美を窘める。基本的に仕事の場でも飲み会でも、桐生は部下を厳しく叱責することはない。どこか飄々とした掴み所のない印象のままに、知らないうちに間違いに気付かされ、反省させられているといった具合だ。
だが、それも相手が話を聞いていなければ通じない。眞美は人の話を聞かず、自分の意見を押しつける悪い酔い方をしていた。
「つまり課長も初恋はまだってことです」
「俺はこいつみたいに告白したことがないわけじゃないぞ」
「そんなの、ただセックスがしたかっただけでしょ」
元々、あまり酒癖のよくない眞美だが、今は勢いがついたのか、言葉がどんどんエスカレートしていく。
「そんな態度じゃ、全然ダメです。二人とも女性に対して失礼です」
「失礼な態度を取ってたつもりはないよ。そう言われたこともないし」
多分、効果はないだろうと思いつつ、康輔はやんわりと抗議した。
「好きじゃないのに付き合うのが失礼なんですよ。二人とも、ただ彼女に会いたいとか、ただ一緒にいたいとかって、本気で思ったことないでしょう?」
説教モードに入った眞美に気付かれないよう、康輔は横目でチラリと桐生を盗み見た。話を打ち切らせるなら課長である桐生に任せるべきだ。だが、同じタイミングで康輔に目配せしてきたところを見ると、どうやら同期のお前がなんとかしろと言いたいらしい。
視線だけで押し付け合いをし、結局、どちらも引き受けず、二人はしばらく理不尽な説教に付き合わされた。
「みんな、気をつけて帰れよ」
上司として部下たちを気遣う桐生のそばに、康輔は当たり前のように控え、そのやりとりを見守っていた。
「じゃ、俺たちも行くか」
そう康輔を促し、桐生は他の部下たちとは反対方向に向かって歩き出す。飲み会に参加していたメンバーでは桐生と康輔だけが同じ方向だった。
「ここはやっぱり飲み直しだな」
「ですね」
桐生の提案に、康輔もすぐに同意した。
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