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ブルーライン[囚愛契約]

WEB掲載分に書き下ろし&緒笠原くえん先生のイラストを加えて文庫化決定! 囚愛契約

ナツ之えだまめ

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【お試し読み】囚愛契約

 早朝の会社に人影はなかった。
 朝日がまぶしかった。
 ただ一人、スーツ姿の長嶺(ながみね)だけがいた。黒い髪、細い体躯。それに比べて不似合いなほど広い肩幅。
 彼はかがみ込み、机に口づけていた。宮本高良(みやもとたから)の、自分の机に。
 その横顔はどこか殉教者めいていた。
 そして顔を上げたときに、彼は高良に気がついたのだ。

  ※

「このたびは……――ご指名、ありがとうございました」
 宮本高良が会議室で名刺を渡すときに思わずそう言ったら、相手方、ホクヨープリズムの課長、主任、担当が吹き出した。こちら側、広告代理店・鳳翔堂(ほうしょうどう)のリーダーである上司の大江(おおえ)の動作が止まり、高良同様立ち上がって名刺を手にしていた部下の柴田(しばた)は目を丸くしている。
「宮本さんって楽しい方ですねえ。お噂に伺っていたとおりです」
 ホクヨープリズムの広報担当は自分と同じ三十五歳前後に見えた。名刺には「鈴木」とある。
 おかしな挨拶だったろうか。
 しかし、ほかになんと言っていいのかわからなかったのだ。
 高良の勤務する鳳翔堂は国内売上高で業界第二位の広告代理店だ。高良は統括第二事業部に所属しており、いわゆる営業職である。
 今回の商談相手であるホクヨープリズムはカメラ業界では国内で三指に入る老舗(しにせ)であるのみならず、プリンターやスキャナーなどのパソコン周辺機器、プロから個人ユースまでのミシン、さらには工場用オートメーション機械まで幅広い分野を手がけており、海外への進出も活発だ。本社は大阪(おおさか)だが、東京営業所が有楽町(ゆうらくちょう)にあり、高良たちは今そこの会議室にいる。
 ホクヨープリズムは来年、百周年を迎える。記念すべき節目の年に、会社のタグラインを変更することになった。
 タグラインとは、一商品ではなく会社自体のキャッチフレーズ・スローガンのことだ。たとえば食品会社の商品であれば、テレビCMの最後に「今日のごはん、明日の元気。○○食品会社」と流れたとすると、そのキャッチフレーズがタグラインに当たる。企業イメージを刷新するためのタグラインの変更は、ブランド力に直結する。そのため、予算額も、テレビCMや新聞雑誌広告などへの出稿規模も、一広告商品とは桁が違う。
 ここまで大規模なプロジェクトであれば、通常はコンペを行う。広告主、この場合はホクヨープリズムが複数の広告代理店に声がけして競合プレゼンテーションを開催し、そのうち一社を選ぶ。
 しかし、今回、ホクヨープリズムは鳳翔堂を、そして宮本高良を名指しで依頼してきてくれた。思わず「ご指名、ありがとうございます」の一言が出てきてしまうというものだ。
 今後、高良は一年にわたって、代理店側の責任者「アカウント・エグゼクティブ」としてこの大規模プロジェクトのスケジュールと予算を管理し、内外すべてのマーケティングおよび制作チームと連携をとって、プロモーションを行い、広告を出稿し、新しいタグラインの認知とブランド力の強化を目指すことになる。
「や、まあ、どうぞ」
 鈴木に言われて、腰を下ろす。
「宮本さんがお若いのでびっくりしました」
 高良は自分の顔を撫でた。
「そうですか?」
 三十五歳という年相応だと思っているのは自分だけらしく、よく言われることだ。
 薄茶色の髪にくりっとした目。唇が小さくてややぼってりしているところも童顔に輪をかけていることだろう。身長百七十二センチ、体重六十三キロ。さして大柄ではないのは確かだが、休日には暇さえあればジムに通っているので、ちゃんと筋肉がついているんだぞと誰にともなく心の中で訴えてみる。
「すみません。貫禄がなくて」
「あ、いえいえ。そういう意味では……――」
「髭を生やしたこともあったんですけど、似合わないんですよね。分離するというか。クリスマスパーティの余興みたいになっちゃって」
 全員が肩を震わせたところを見ると、それは想像しただけでも笑える光景であるらしい。
「す、すみません。あの」
 まだ笑いの余韻をまとったまま、鈴木が手元の資料をめくった。
「僕、宮本さんの担当されるCM、好きなんですよ。昨年の新車の広告もそうなんですが、なんていうのか明るい泥臭さみたいなのがあるんですよね。特撮俳優を起用したスマホのCMシリーズもよかったなあ。とぼけた味わいがあって」
「ありがとうございます」
「中でも特に気に入っているのは、長嶺祐也さんとの共同名義で暁(あかつき)広告賞の審査員特別賞をとった小広告シリーズなんです。ほのぼのしてましたよね、あれは」
 暁広告賞は、新聞社が主催している賞だ。この賞は、広告制作においてもっとも権威があると言われている。上位入賞者の動向は注目されるし、独立する者も珍しくない。
 そう、長嶺のように。
 長嶺祐也(ゆうや)は四歳下、高良が入社して五年目にして、初めて指導担当を受け持った新人だった。彼は一年半前、コピーライターとして独立し、現在ではすでにいっぱしの売れっ子だ。
「暁広告賞というと、こちらですね」
 高良は携えてきた見本ファイルから賞をとったときのカラーコピーを提示して見せた。ごく小さな広告が並んでいる。鈴木は破顔する。
「ああ、それです。いいですねえ、うん。それで、上司とも相談したんですが、ぜひ、タグラインのコピーライターを長嶺さんにお願いしたいんです」
 高良は瞬きする。
 来た。
 言われることを予測していた。でも、名前が出なければいいと願っていた。まだ。もう少しの間は。
「それは……」
 喉の奥で声が止まる。
 皆が自分を見ている。何か言わなければ。何か。
「長嶺……さんは、弊社を退職してすでに独立しているので、まずは、スケジュールを確認させていただかないと」
 長嶺の名前に敬称をつけることに自分はまだなじんでいない。
「それはそうですよね。長嶺さん、人気がおありですもんね」
 そう言いつつ、鈴木はなおも押してくる。
「タグラインは弊社の顔です。百年、褪(あ)せることのない顔を作るためにご助力いただきたい、キックオフミーティングでご挨拶できれば光栄です、と長嶺さんにはお伝えください」
「はい」
 キックオフミーティングとは、鳳翔堂の内外問わず、プロジェクトにかかわるすべてのスタッフが出席する最初にして最大規模の会議である。よくテレビで見る、芝居をする際の関係者顔合わせのようだと高良はいつも思う。違うのは、芝居はこれから関係が密になっていくのに対して、広告制作は始まってしまえばメールだけのやりとりになったり、極端な場合、もう二度と接触しない可能性も十分に考えられるということだ。ともに目指すゴールを、全員の顔を見ながら確認するチャンスは一度だけなのだ。
 高良はキックオフミーティングを精度よく仕上げることが、仕事の成果をあげるには必須だと考えている。ゆえに、いつもここには力を入れてきた。
「了解しました。できるだけ、ご希望に沿う方向で尽力させていただきます」
 高良は心中の揺れを押し隠して返答する。

 会議終了後、大江、柴田、高良は帰社した。鳳翔堂本社は表参道に面した、銀に輝くビルを十フロア、借り切っている。統括第二事業部のあるフロアでエレベーターを降りて歩きだしながら、大江が高良を呼んだ。

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