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ブルーライン[少女漫画家は恋をする]

WEB掲載分に書き下ろしを加えて電子書籍化! 少女漫画家は恋をする ~くっつきたいし甘えたい!~

久我有加

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【お試し読み】少女漫画家は恋をする~くっつきたいし甘えたい!~

 村越優人(むらこし ゆうと)はスマートフォンの画面を穴が開くほど凝視した。しかしどんなに見つめても、恋人からのメールは来ていない。着信もない。
「ちょっとゆうちゃん。ご飯食べてるときにスマホ見るのやめなさい。お行儀が悪いわよ」
 カウンターの中から声をかけてきたのは、上品な着物の上に割烹着を纏った女将だ。年の頃は四十代半ば。体はがっちりとした男性だが、中身は正真正銘の女性である。
 小料理屋『なごみ』はカウンター席のみの小さな店だ。女将の作るおふくろの味が人気で、いつ来ても誰かが飲み食いしている。出入りしている客のほとんどはゲイやトランスジェンダーだ。
「だって健太(けんた)君、全然メールくれないんだもん」
 既に半分ほど食べ終えた「本日の魚定食」――きのこがたっぷり入った炊き込みご飯、ぶりの照り焼き、里芋の煮物、ほうれん草のお浸し、豆腐の味噌汁、という夕飯を前に一旦箸を下ろした優人は、無意識のうちに口を尖らせた。健太君こと斎丸(さいまる)健太は、優人の恋人である。
 そうなの? と女将は眉をひそめた。健太とは『なごみ』で知り合ったので、女将も彼を知っているのだ。
「全然って、いつから連絡ないのよ」
「二日前」
「二日前ってことは、一昨日には連絡をくれたんでしょ。全然ってことないじゃない」
「そうだけど……、でも、もう十六日も会ってないんだよ。今日だってなごみで一緒に晩ご飯食べようってメールしたのに返信くれないし、書いといた時間すぎたのに来てくれないし……」
 一昨日は朝と晩にメールがきた。夜のメールには、明日から難しい工程に入るから、しばらく連絡できないと書いてあった。
 健太は大きな建設会社で働いている。今は公共工事である橋の建設に携わっており、優人より二つ年下の二十六歳という若さで現場監督として奮闘している。らしい。
 健太は自分の仕事のことをきちんと説明してくれる。しかし一度も会社勤めをしたことがない上に、完全な文系人間の優人にはいまいちよくわからない。いくら忙しくても休憩がないわけじゃないだろうし、夜はうちに帰ってるんだからメールのひとつぐらいできるだろ、と思ってしまう。
 優人の考えを察したらしく、女将はあきれた顔をした。
「あのねえ、仕事してる社会人だったら、繁忙期に連絡できないのはよくあることでしょ。あんただって締め切り前は、メールを打つ時間が惜しいときだってあるんじゃないの?」
 優人は高校在学中に「菖蒲池(あやめいけ)ちはる」というペンネームでデビューした少女漫画家だ。老舗の少女漫画雑誌『きらきら』で、三年前から連載を持っている。古き良き少女漫画を求める読者に人気があり、熱烈なファンもいてくれる。
「でも僕は締め切り前で忙しくても、一日一回はメールするよ」
「あんたはそうかもしれないけど、ケンちゃんは仕事に集中したいタイプなんでしょ」
「そうかもだけど……。でももっと会いたいんだもん……」
 うつむいてつぶやくと、女将は苦笑した。
「ゆうちゃんは恋愛体質だし、乙女だもんねえ。あんたの描いてる漫画そのもの。ふわふわでキラキラできゅんきゅんしちゃう」
「それは、僕の願望っていうか夢をつめ込んでるから……」
 少しぶっきらぼうだが優しい男の子。そんな彼に恋する、平凡だけど素直な女の子。こんな恋がしたいという、優人の憧れをそのまま反映している。
 優人の漫画の一場面を思い浮かべたのだろう、うっとりしていた女将だったが、急に我に返ったようにこちらを向いた。
「てかアンタたち、メールで連絡取り合ってるの? 今時珍しいわね」
「健太君、SNS全然やってないから」
 健太の携帯電話はいまだにガラケーだ。調べ物や仕事はパソコンで事足りるし、重くて大きくて充電が長持ちしないスマホはいらないという。しかし数ヶ月前、長い間使っていたガラケーの調子が悪くなったらしい。とうとうスマホにするのかと思ったら、なんと彼は新しいガラケーに替えてきた。我が道を行くところがかっこよくて好き、と惚れ直したことは秘密だ。
「あー、ぽい。ぽいわね!」
 女将はしきりに感心する。
「ケンちゃん、若いのに昭和の男って感じだもの。ゆうちゃんはケンちゃんのそういう硬派で昔っぽいとこが好きなのよね」
 からかう物言いに、優人は頬を染めた。
 初めて健太と顔を合わせたのは、約一年前。今日のように急に気温が下がったある秋の日のことだ。優人は締め切り明けのよれよれの状態で『なごみ』を訪れた。そこで作業着姿で黙々と日本酒を飲む健太に一目惚れした。美容院に三ヶ月も行っていなかったこと、そして着古したジャージで店に来てしまったことを死ぬほど後悔した。
 僕のバカ! こんな恰好じゃ恥ずかしくて話しかけられないじゃないか!
 しかし色褪せたジャージを着て耳まで真っ赤になった優人に、健太は好印象を抱いたらしい。彼の方から話しかけてきてくれた。優人が年上だと知って、慌てて敬語を使おうとした健太に、真面目な人だなあとますます好感を持った。そうして『なごみ』で何度か顔を合わせるうちに、口数は少ないものの優しくて誠実なところに惹かれていった。
 告白したのは優人だ。僕と付き合ってくださいとストレートに言うと、健太はあからさまに狼狽え、すまん、と謝った。その瞬間、目の前が真っ暗になった。健太君も僕のこと好きになってくれてると思ってたけど、やっぱり男に告白されるのは嫌だったんだ。泣きそうになった優人に、違う違うと健太は慌てたように首を横に振った。おまえに言わせて悪かった。俺が言うべきだった。俺と付き合ってください。その言葉が嬉しくて嬉しくて、結局泣いてしまった。
「ケンちゃん、浮気してるわけじゃないんでしょ。真面目に仕事してるんだから、あんまり無理言っちゃだめよ」
 女将の諭す物言いに、わかってるよ、と返した口調は、我ながら子供っぽい拗ねたものになってしまった。確かに健太は、優人が今まで付き合ったどの恋人よりも誠実だ。他の男に見向きもしない。
 しかし週に一度会えれば良い方で、一緒にいられる時間は限られている。メールも電話も圧倒的に足りない。
 健太君が僕を好きなのは本当だろうけど、僕が健太君を好きなほどには好きじゃないんじゃないかな……。
 寂しさのあまり後ろ向きな思考に陥ったそのとき、店の引き戸が開いた。顔を覗かせたのは、今まさに話題にあがっていた健太だ。
「健太君!」
 思わず呼ぶと、作業着の上にジャンパーを羽織った健太は笑みを浮かべた。日に焼けた肌に白い歯が映える。その笑みを向けられただけで胸が高鳴った。
「よかった。まだいたんだな」
 言いながら隣に腰かけた健太に、いそいそと声をかける。
「お疲れ様! 帰って来れたんだ」
「ああ。大きい山をひとつ越えたから」
「じゃあもう忙しいのは終わり?」
「いや、ひとつ越えただけだからまだ終わりじゃない。前にも言ったけど、工期はあと三年残ってるからな。女将、かつ丼と里芋の煮物ください」
 はぁい、かしこまりました、と愛想よく応じた女将とは反対に、優人は肩を落とした。
 健太が造っているのは大きな橋だ。ちょっとやそっとで完成するものでないことは理解できる。しかし感情が納得しない。
 また会えない日が続くんだ……。

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