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ルージュライン[十二年目のチョコレート]

電子書籍化!「素顔を見たいって言ったのに……お仕置きが必要かな」高校時代の先輩と再会! 二人きりの特別なオーディションで快感を引き出され── 十二年目のチョコレート ~先輩の甘いお仕置き~

朝来みゆか

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【お試し読み】十二年目のチョコレート

 おそるおそる扉を開けると、スタジオは熱気に満ちていた。
 ジャージ姿の劇団員が発声練習を繰り返している。高校時代の自分を見るようで懐かしく、思わず立ち尽くしてしまった。
「見学? そこにいると危ないよ」
 鋭い声を浴び、小柳華苗(こやなぎかなえ)はあわてて窓際に寄る。壁にはめ込まれた鏡に向かって群舞の振りつけを確認するグループの邪魔になっていたらしい。すみません、と頭を下げる。借り物のスリッパが床にこすれてきしんだ。
「あ、彼女のこと追い出さないで。今日から取材に入るライターさんだから」
 広報担当の田村(たむら)氏が椅子を持ってきてくれたのでほっとした。左手薬指に指輪をはめ、前髪の生え際が後退しかけた田村氏はいいお父さんというイメージだ。今日が初対面だが、華苗がかつて演劇をかじっていたと打ち明けると、学生の遊びだと馬鹿にすることなく耳を傾けた上で、劇団の成り立ちから三年目となる現況まで丁寧に説明してくれた。
「いつもならそろそろ終わる頃なんですが、盛り上がってますね……」
 時計を見れば午後十時。公演が迫った時期で、稽古にも熱が入っているのだろう。今夜はスタジオでの稽古が終わるのを待って、主宰者への取材に入る手はずになっている。終電の時間を気にしているのが伝わったのか、田村氏が言った。
「小柳さん、お時間は大丈夫ですか?」
「私は平気です」
 いざとなればタクシーを使おうと思いながら答えたそのとき、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。騒がしいスタジオの中でもはっきり聞き取れた。華苗は居住まいを正す。高校時代の習慣が染みついている体の反応に、自分でも驚いてしまう。
 輪の中心にいるのは今回の取材対象で、劇団主宰の演出家である有島亘(ありしまわたる)だ。タイトな黄色のTシャツにルーズなシルエットのカーゴパンツを合わせた格好できびきびと動く様子は、実年齢の三十歳より若く見える。亘は十代半ばで俳優としてのキャリアをスタートさせ、実力派との評価をほしいままにし、ここ数年はテレビから舞台に軸足を移している。その活躍からあえて目をそむけていた時期もある華苗にとって、動いている亘の姿を見るのは久しぶりだった。顔を合わせるのは高校卒業以来となる。
 取材に入る華苗の名前が亘に伝わっているか定かではないが、田村氏は亘と華苗が先輩後輩の関係だとは知らないだろう。華苗も告げていない。もし告げたなら、制服の頃に抱いていた亘への気持ちがあふれ出して妙なことを口走ってしまいそうだ。
「有島が新人に動きをつけてるんです。がたいのいい奴が今年度の新人で」
「今回の上演作品もアクションは多めなんですか?」
「そうですね。うちの特徴ですから」
 亘がわずかに動きを溜め、床を蹴った。
 ばねを解放するように開脚して宙で止まる。一瞬遅れて栗色の髪がふわっと持ち上がる。若い役者が亘を真似て跳躍を繰り返す。
 練習風景を眺めていると、心は高校時代に飛ぶ。かつて抱いていた複雑な感情が生々しくよみがえった。
 華苗が門を叩いた演劇部に亘はいた。一学年上の先輩で、皆のテンションを上げるのが得意な花形部員だった。大勢の部員がいる中で最初から目を引いたし、凛とした声は演劇部の練習場だった講堂に響き渡っていた。
 亘が学業と両立し、既に演技の仕事を始めていることや、母親は女優でいわゆるシングルマザーなのだという情報は後から耳に入ってきた。
 同じ夢を追う存在をアマチュアだと馬鹿にせず、ここまでおいで、と手を伸ばす。放課後は仕事で早く抜けることもある分、亘は朝の練習には必ず参加し、部員たちに惜しみなくアドバイスを与えた。皆で作るものだからと言って、通行人役の視線や歩く速さにも指示を出した。細部まで妥協せずに――
 学校中の人気者だった亘だが、部内にはアンチ有島を公言する男子もいた。
 ――偉そうにしてるけど、親の七光りだよな。芸能人のくせに部活でも大きい顔して、主役さらってくなんて図々しいよ。
 ――あのひと、親の力を当てにはしてないと思う。舞台の端から端までよく見てるし。
 ――何だよ、小柳はきゃーきゃー言わないからこっちの仲間だと思ってたのにな。あいつのこと認めてるのか?
 ただお芝居が好きなだけに見える、と正直な印象を言うと、華苗はアンチでもファンでもない中立派と分類されたのだった。
 華苗の心の中は決して穏やかではなく、憧れと嫉妬、二つの感情が渦巻いていた。
 亘の華やかなルックスと丁寧な芝居に目がいくのは確かで、部員を指導する声を聞けば背筋が伸びた。嫌いじゃない。実力を認めざるを得ない。でも好きとは言えない。主役を張る彼の才能がうらやましくて妬ましくて仕方がなかった。
 もし自分が男なら同じ役を争い、早々に敗北を表明していたかもしれない。あるいはねじ伏せようとして傷を深めたかもしれない。
 当時の華苗は亘よりも背が高かった。高校に入る前に急激に伸びたのだ。女子校なら男役ができたのにね、とからかい半分の部員の声を聞き流し、不器用なりに練習を重ねた。
 学園祭公演のヒロインに選ばれるのは結局かわいくて華奢な子だとしても、演技力をつければいつかはという期待があった。三年間で華苗が演じたのは、『クリスマス・キャロル』の精霊のうちの一役と、『夏の夜の夢』の女王。かわいらしい役とは縁がなかった。
 高校卒業後、いくつかのオーディションに挑戦したものの、欲しい結果は得られず終わった。モデルでやっていくには少し身長が足りず、女優としても相手を選ぶと言われたのだ。傷つき、疲れ、挑戦をやめた。
 その後は役名のないエキストラをこなしながら、編集プロダクションでアルバイトをしている。ライターとしてさまざまな分野のひとと会うのは楽しい。
 二週間前、アルバイト先で有島亘と同じ高校に通っていた件を漏らすと、ゴシップ好きの一人が唇をゆがめて言った。
『有島って相当、女遊びが激しいらしいね。とっかえひっかえらしいよ。普通の取材じゃつかめないような素顔も、後輩の小柳さんなら見られるんじゃない?』
 先輩の素顔なんて暴きたくない。渋る華苗を相手は鼻で笑った。
『根も葉もない噂なら、清廉潔白な暮らしぶりを記事にすればいいじゃん』
 本当は、会ったら苦しくなるのではないかと怖かった。淡い恋と、かつて描いた夢の両方を思い出させるひとだから。オーディションに落ちてばかりいた頃にはテレビに映る亘すら避けていた。
 でも実際に会ってみたら、想像していたような苦しさは感じなかった。
 亘は演劇界を引っ張るホープだ。同じ場所に立つのをあきらめたからか、素敵だなと素直に思えた。視界を覆っていた暗幕が取り払われた感じだった。
 亘が大好きな芝居を今も作っているのだと思うと嬉しかった。嬉しいと思える自分が嬉しくて、それもまた感慨深い。思いきって取材を申し込んでよかった。女優になる夢はかなわなかったけれど、年月を重ねるのって悪いことばかりではないかもしれない。
「あ、そろそろ終わりますよ」
 田村氏の予告どおり、亘が終了の合図をした。
「お疲れさまでした!」
 劇団員たちがタオルで汗をふきつつ散ってゆく。ほっとゆるんだ亘の表情が、華苗を認めてぱっと明るくなった。人好きのする笑顔だ。亘は身軽な駆け足で近づいてきて、肘から手首を使って額の汗をぬぐった。

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