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ルージュライン[恋色骨董鑑定譚~クラシック・ショコラ~]

【文庫化決定】“目利き”の次は“手入れ”!?…愛の手ほどきは止まらない! 恋色骨董鑑定譚~クラシック・ショコラ~

斉河燈

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【お試し読み】恋色骨董鑑定譚~クラシック・ショコラ~

 いつの間に春は肌に馴染んでいたのだろう。
 居間の南の壁の中央、戸棚をよけてかけられたカレンダーを破ると、待ち構えていたのは数字の『4』だった。背筋の伸びたそのたたずまいは冬の名残りを見事にふっきっているように見えて、わたしは頬を緩めつつ手の中の三月へ視線を落とす。
『4』は春本番を思わせる形だけれど、春を連れてくるのは『3』だと思う。
 もしも指先で上下を押さえたとしたら、跳ねて逃げ出してあちこちをきっと飛びまわる。ぴょんぴょんと楽しげに、まろやかな体をばねにして。うさぎのような、小鳥のようなその仕草には、うぶで柔らかい色の背景が似合う気がして、想像するとわたしの中の春はますます息吹く。
 ――いい季節だな。
 過ぎ行く三月を浮き立つ気持ちで丸めていると、真後ろから呼ぶ声がした。
「おい、夏子(なつこ)」
 いさめるような低い声だった。
「家の中で道草を食うなどという器用な芸当はやめなさい」
 筒状にしたカレンダーを手に振り返ると、囲炉裏の向こう、縁側から斜めに顔をのぞかせている彼と目が合う。障子戸に阻まれて全体はうかがえないけれど、座布団に座ったまま体を捻って振り向いているらしい。無理な格好には痺れを切らした様子が滲んでいて、わたしは思わず肩をすくめて苦笑してしまう。
「……すみません、三月が今日で終わりだって気付いたら、つい」
 カレンダーを捲ってしまったわけだけれど、わたしはコーヒーを運んでいる最中なのだった。自分から淹れてきますと言って台所へ向かったくせに、うっかりしていた。
「つい、じゃないだろう。まったくおまえは相変わらず、いっぽうに気を取られるともういっぽうをぽかんと忘れてくれる。実に鮮やかだ」
「でも、冷めるほどの時間は経過してないと思うんです」
「私は淹れたての熱いやつが好きなんだよ。夏子の猫舌と一緒にするな」
「わかりました。淹れ直してきます……」
 責められていると思ってしゅんと肩を落とすと、焦れったそうに手招きされた。
「いい。いいからほら、早く持ってこい」
 急かされて、わたしは戸棚の上に手放しておいたトレーを縁側へと運んで行く。
 庭に向かって正座し直した彼の細い体には、繊細な縦縞模様の和服がよく似合う。グレーの羽織と合わせて古民家の雰囲気にもしっくりくる。
 コーヒーの入ったカップとソーサーを手渡すと、
「そこへ座れ」
 示されたのは左隣の座布団だった。ちょうどストーブと彼の間だ。
 トレーを座布団の前に置き、わたしはロングニットとデニムパンツ姿で腰を下ろす。着物をお休みしてカジュアルな服装をしていたのは、自転車でコンビニエンスストアにでも行こうと思っていたからだ。
 仲居を生業とするわたし、碓井(うすい)夏子が彼、津田有礼(つだありのり)さんの家に越してきてから、もうすぐ三ヶ月が過ぎようとしている。二十八まで処女だったわたしには恋人ができただけでも奇跡のようなのに、一緒に生活しているなんて今でも夢みたいだと思う。
 引っ越しがしたい、津田さまと一緒に住みたいと言ったとき、住み込み先の旅館・鐘桜館(しょうおうかん)の女将は目を丸くしていたっけ。
『ちょっと待って。津田さまって先日まで長期滞在していらした、あの、骨董鑑定士の津田さまよね。いつの間にそういうことになってたの。確かにあの方はなっちゃんのことを気に入ってるみたいだったけど、気難しい方だし……。本当に付き合ってるの、十二も年が離れていて大丈夫なの』
 心配されるのも無理はなかった。
 有礼さんはその道では名の知れた風流人で、省庁主催のイベントでも壇上に立って弁をふるうような方だ。対するわたしは男性と付き合った経験もなければ、転職以来片想いすらしてこなかった一介の仲居。恋人ができた、と打ち明けるのが初めてなのに、相手との格差は歴然で、しかもいきなり同棲だなんて。
『彼とだから挑戦してみたいんです』
 告げたのは正直な気持ちだった。
 最初からなにもかもがうまくいくと楽観視しているわけじゃない。けれど、他でもない有礼さんとだから一歩を踏み出してみたかった。
 年の差はもちろん気になる。とはいえ、なくてはならないものだとも思う。ずっと年上の彼に認めてもらえたからこそ、わたしは長年のコンプレックスだった素のままの自分をまるごと認められるようになったのだから。
 コーヒーを傾ける有礼さんの左で、わたしも目の前に置いたカップに右手を伸ばす。
 蝶々が椀の横で休んでいる形のカップは、彼のお気に入りのアンティークだ。当初、一客しか見当たらなかったこれは同棲を始めた途端に二客に増えていた。きっとペアにしてくれたのだろう。そう察して使っている。
 すると、カップに指先が触れそうになったところで、彼の左手がわたしの動作を阻んだ。手首を掴んで持っていかれて、指先をきゅっと握られる。
「え、あの」
「コーヒーのお預けを食らった仕返しだ。しばらくこうしていろ」
 冷めるまで飲むなと言いたいんだろうか。でも左手は自由だし、だから取ろうとすればカップくらいは取れるのに。そう思って、右手の指先がじんわりと温まってきたことを感じて、はっとした。
「あ……」
 冷えた手を温めてくれているのだ。
 気付いたら、手だけでなく頬までふんわり温かくなった。
「……ありがとうございます」
「ほう。虐げられて礼を言うとは、夏子はとんでもない被虐愛者だな」
「さ、さも変態みたいに言わないでください」
「そこまでは言っていない。ほら、そっちの手も貸せ。反省が足りない奴は両手ともに拘束だ」
 熱々が好きだと言っていたくせに、有礼さんは飲みかけのコーヒーを傍らに避け、わたしの両手を自分の膝に載せる。そうして、骨張った右手を上から被せた。
「阿呆め。冷えきってるくせに余計な用事でうろうろするな」
 やはり仕返しなんて嘘だ。
 女将は気難しいと言っていたけれど、この人の捻くれた言動の裏には必ず意味がある。むやみに我を押し通すだけの人じゃない。
(気付く人が少ないだけで……)
 本当は情に厚い人なのだということをわたしは知っている。
 両手を温められながら自然と右肩をもたれる格好になってどぎまぎしていると、グレーの羽織で背中を包み込まれてますます全身が火照った。
「……寒くないか」
 左耳に落とされる淡い問い。長い腕を腰にまわされたら、はいと言って頷くのが精一杯になる。
 心臓が壊れそうなのはわたしだけだろうか。
 有礼さんは……わたしほど緊張していない?
 同棲生活はおおむね穏やかだけれど、恋に不慣れなわたしには時折刺激が強すぎる。
「そうだ夏子、おまえに良いものを見せてやろう」


* * *


「久々に『目利き』でもさせてもらおうか」
 低く命じた唇は、粟立ったばかりの首筋に落ちた。
「いや、これはどちらかというと『手入れ』だな」
 甘い声。両手はすでに自由になっていたけれど、逆らう気はおきない。
 右胸の先端をとらえるとみせかけた指先が、色付いた周囲をくるりと周回する。肩透かしされたのに、正直な腰は軽く後ろに振れてしまう。
「っぁ……は」
「磨いてやる。脚を開け」
 普段、彼が骨董品を磨く仕草を思い出して体の芯がじんと熱くなる。
「……開けと言っている」

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