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ルージュライン[潮風はいじわるな恋の運命]

電子書籍化!「今、言う。俺は好きだよ。なぎのこと」偶然の再会とニセモノの関係の先に待っている恋は、きっと運命☆ 潮風はいじわるな恋の運命

朝来みゆか

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【お試し読み】潮風はいじわるな恋の運命

「どなた?」
「彼女。熱心にアンケート書いてくれてた」
 美波は疲労の色を揺らめかせて微笑んだ。彫りの深い美貌だった。
「彼女さん? あらまぁ。アンケートは後ほど楽しみに読ませてもらうね」
「今日は本当に素敵な演奏で感激しました」
「握手してあげて。姉貴のファンだから」
 流太が援護してくれた。
「あらそうなの」
 なぎさの前に、まっすぐ右手が差し出される。ステージ上でタクトを振っていた手だと思うと畏れ多い。唾を呑み、手を伸ばす。
「……指揮、すばらしかったです」
 握った手は温かかった。
「ありがとう。かわいい妹にそう言ってもらえて嬉しい」
 美波が目を細めた。なぎさは恐縮し、後ずさり、壁に寄った。
「あのフェルマータ、ずいぶん溜めたね」
 流太が演奏への感想を述べ始めた。
 連れ子同士で姉弟になったのならば、血のつながりはないはずだ。にもかかわらず、二人はよく似ていた。大きな目、どこか浮世離れして中性的な容貌、落ち着いた声。
 似ていないのは表情の濃淡だった。顔の筋肉をあまり動かさず、唇だけで話す流太に対し、うなずいたり、眉をしかめたり、美波の仕草一つ一つは大きく、揺らぎがある。
 話の内容は専門的だった。流太が会話を切り上げるまで、なぎさは口をはさまずに待った。
「じゃ、先に帰る。これから取材だよな?」
「そうだったかしら」
「そうだよ。ロビーにいつもの記者さんが来てた。しっかり」
「ありがとう。彼女さんも」
「いえ、お邪魔しました。失礼します」
 楽屋を出ると空気が冷たく、自分の頬が紅潮していたのに気づいた。
「美波さんってオーラあるね」
 流太は答えず、不思議な微笑を浮かべた。なぎさは美波と握手した右手を撫でながら続ける。
「すごい体験させてくれてありがとう。本当に素敵なお姉さんだね」
「次に会ったとき、姉貴が臼井さんのこと憶えてる保証はないけどね」
「忘れっぽいの?」
「致命的に抜けてる。何か楽器をやっている奏者なら憶えると思うけど、そうでないなら難しいね。おそらく姉貴は脳のリソースの九十九パーセントを音楽に使って、残り一パーセントでぎりぎり生存してる」
「えええ……!?」
 音楽以外は構わない性格なのだろうか。
 言われてみれば、美波と流太の会話はどちらが年上だかわからない感じだった。
「この後、どうするの?」
「特に予定なし。どこかで食事して帰る」
 コンクリートの通路に二人分の靴音が響く。
 楽屋口から外に出た。日が沈んだばかりで、空は柔らかな群青色にかすんでいた。急いで帰らなければならない用事はない。何よりもこのまま流太と別れるのはもったいない気がする。
「一緒に何か食べにいかない?」
「……俺、ラーメンの気分なんだけど、それでもよければ」
「いいよ、私もラーメン好き」
 なぎさはストールをまき直した。春の宵の口はまだ肌寒い。
 昔と同じ街に住んでいるとなぎさが話すと、流太は親の持ち家の一つが沿線にあると教えてくれた。
 美波の母と、流太の父、夫婦になった二人はクルーザーで旅に出ていて、そろそろ海辺の別邸に帰ってくる頃らしい。話の端々から、一家が複数の不動産を所有しているのが知れた。
「なぎ」
 歩きながらごく自然に呼ばれて、そのあだ名を流太が憶えていたことに驚いた。
「って、皆、そう呼んでたよね、臼井さんのこと。人気者だった」
「いえいえ、人気者というほどでも」
「よく給食をお代わりしてた」
「え? 別人と勘違いしてるでしょ?」
「してないよ。学級委員だったよね」
「うん。江藤くんはあれからどうしてたの?」
 父親の仕事の都合で各地を転々とした流太の思い出話を聞きながら、ラーメン店の前についた。
 入店を待つ列はのれんの前から、隣のコインパーキングを越えて道の角まで続いていた。
「この人数なら二十分待ちくらいかな」
 列の最後に加わる。流太は、道の脇に白く溜まった桜の花びらを足先でつついた。仰ぎ見れば、枝にはまだたくさんの花びらがついている。
「臼井さんは、同級生と今でも会う?」
「ううん。私、中学受験で女子校に行ったの」
「確か犬飼ってたよね」
「うん。でも死んじゃったから、それを機にマンションに引っ越したんだ」
 なぎさはバッグチャームを揺らして見せる。亡くした愛犬の写真を転写し、透明な樹脂で固めたものだ。
「うち、でかい犬がいるんだ。メイって名前」
 流太がキャンバスバッグからタブレット端末を取り出した。
 顔を傾けた犬の写真が表示されている。カールした赤茶色の毛並みはつやつやと輝き、大きな瞳がこちらを見つめている。
「ゴールデンレトリバー? かわいい」
「まだ二歳。やんちゃだよ。砂浜を掘り返して正体不明の骨を見つけてきたり、花見のときに車に乗せて出かけたら、窓の隙間からずっと鼻を出してて、反対車線の運転手に笑われたり。犬がいる生活って毎日いろんなことが起こるよな」
「うん、楽しいよね」
 なぎさはうなずき、江藤くんってこんなに話しやすい人だったかな、と考えた。転校してきた流太はいわゆる一匹狼で、誰に対しても一定の距離を保っていた。だからこそなぎさは、どうにかして彼がクラスに溶け込めるようにいろいろ画策したのだけれど。二十年もあれば変わるのかもしれない。
 待ち時間はあっという間だった。
 店内では、客たちが次々と暗号のような要望を店員に告げていた。にんにくや脂の量、スープの濃さなどを好みに調整できるらしい。なぎさの注文は流太が取り次いでくれた。
「普通の人みたい」
 なぎさがつぶやくと、流太は意味がわからないという顔をした。
「実はすごい作曲家なのに、全然偉そうにしてない」
「すごい作曲家……か」
「チャイコフスキー、ショスタコーヴィチと並ぶ名前」
「それはたまたま。モノリスの前で、レンガを積んでるようなスケールだけど」
 流太は苦笑いしながら、テーブルの水ポットから水を注いだ。
「作曲は家でやるの?」
「うん。マシン頼みだから」
 ほどなく、注文したどんぶりが目の前に置かれた。山盛りのもやしに覆われ、麺が見えない。
「食べよう。あ、髪の毛大丈夫?」
「うん」
 手首にはめていたゴムで髪を一つに結わき、箸を割る。
 半分くらい食べたところで、流太が言った。
「うちに来て、彼女のふりしてくれないかな」
「美波さんが私のことを忘れてるか確かめるの?」
「それは確かめる必要もないな」
「じゃ、どうして?」
「逃げてるって思われても仕方ないんだけどさ」
 流太は迷うように言葉を切り、なぎさを見た。
「親が見合い話を持ってくるから……困ってる」
「お母さん?」
「そう。姉貴に関してはあきらめたみたいで、今のターゲットが俺」
 きっと厳しくはねつけられないのだろう。母親を傷つけまいとする、いい息子なんだなと思った。
「本物の彼女は?」
「いないし」
 その答えを聞いて、なぎさの中でゴーサインが発動された。彼女がいないのであれば、彼女役を引き受けるのに躊躇はない。
「じゃ、いいよ」
「いいの?」
「私、こう見えても演技派だから、任せておいて」
 流太が目を細め、麺をすする。
「そういうところが人気の理由だったんだな」
「悪巧みに荷担する学級委員?」
 流太は首を横に振り、さらりと答えた。

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