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ブルーライン[所轄のライオン]

WEB掲載短編「寝息と刻印」に、長編書き下ろし作品を同時収録して文庫化! 所轄のライオン

柴田ひなこ

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【お試し読み】所轄のライオン

 十月の東京は台風一過の強い風が吹いていた。湿気を含まない清々しい風だ。
 ――いい季節になったな。
 八神慶一(やがみけいいち)は首元のネクタイを緩めた。雲ひとつない空を仰ぐと、胸元に清涼感が通り抜けていく。平日の午後、道場で汗を流したばかりの身体には心地いい。
 風に乱れた髪をそのままに、視線を隣の男に移して名を呼んだ。
「長谷部(はせべ)」
「はい」
 額に滲む汗を拭い、ひとつ年下の後輩が八神を見た。野性味のある双眸が切れ長の二重瞼と相まって印象的だ。一見お調子者にも見えるこの男は、長谷部哲(てつ)という。昨年の今ごろ、ここ中野南署の刑事課に配属された男だ。
 この後輩の何気ない変化について訊ねることにしたのは、夜勤明けの鍛錬を終え、あとは帰宅するだけという気安さからだった。
「おまえ最近メールしないな。勤務明けには頻繁にしてたろ」
「特に理由はないです、自分には」
「自分には? へえ」
 メールの受信者側に理由があるらしい。だったらこの話は終わりだ、と八神は口を噤んだ。いくら教育係を仰せつかっているとはいえ、後輩のプライベートを無理に聞き出すつもりはない。
 だが後輩は「ええ」とはにかんで続けた。
「向こうが研修中なんです。だから自主規制してるんじゃないですかね」
「向こうって……ああ女か」
「そんな感じです」
「いたのか。あなどれん」
 長谷部が照れ臭そうに笑った。百七十八センチの鋼のような体躯には不似合いな笑みだ。
 あなどれないと言えば、長谷部は柔術にも長けている。ついさっきも百八十二センチの八神を二度、畳に沈めていた。先輩として花を持たせてやったんだよ、という八神の弁明はほぼやっかみだ。
「おまえに女がいるなんて知らなかったな。しかも研修って、まさか警官か」
「今年昇任したんです。あの、恋人が警官じゃ駄目でしょうか……」
「いや、駄目とは言ってない、けどよ」
 続きそうか? という言葉は余計な世話かと飲み込んだ。
 極端な年上かキャリア組でもない限り、長谷部の相手は巡査部長に昇任したばかりだろう。今後はどちらも、より融通の利かない立場になる。恋人とは名ばかりの関係になるのは必至だ。会えるのは月に一度、いや、三か月に一度。
 そんな頻度で女が満足するとは思えない。当然、男の側も。
「写真見せてみろ。あるんだろ、彼女の写真」
「ないです。そういうの持ち歩くのは好きじゃないんで」
「どっちが」
「お互いにです。八神さんこそ彼女いないんですか? モテそうじゃないですか」
「あー、俺か……」
 すかさずこっちに振ってきやがったと苦笑した。物怖じしない奴だ。実際、長谷部は仕事の吸収率も高い。放っておいてもどんどん食いついてくる。
「いない。特定の女作ったところで長続きしないしな」
「ああ、なんとなくわかります。俺たちもセフレ上がりなんで」
「元セフレなのか。おまえも見かけによらないな」
 悪いとは思わない。だがセフレが恋人になるなど、八神には考えられなかった。そもそもの目的が違いすぎる。セックスはセックス、恋愛は恋愛だ。
「見かけによらないのは八神さんですよ。フリーだとは思いませんでした。八神さんだったら、仕事の合間を縫ってしっかり朝までコース、とか上手くやり繰りできそうに見えますけど」
 そんなことねぇよ、と笑って誤魔化した。くっきりとした目鼻立ちの容貌は軒並み高評価、相手に不自由しているようには見えないと言われることの多い八神は、その手の話になるとよく誤解される。
「俺なんかよりおまえの方が上手くやり繰りしてるんだろ?」
「そりゃそうです。頻繁には会えないとわかってるんで、同時に休みが取れたりすると妙にテンション上がりますね」
 自白剤でも飲んだのかと疑うほどの率直さで言いのける長谷部に、若いな、と八神は心中で呟いた。
 まるで過去の自分を見ているようだ。
 八神がスポーツ推薦で入学した私立大学では、強制的に経済学部に籍を置かされた。経済学科に在籍していた三百人のうち、三分の一は八神と同じような部活動での活躍を期待された猛者だった。
 合宿所暮らしに加え、日々の猛練習と遠征を繰り返していたせいで、学部の授業には半年で出席しなくなった。だがなぜかレポートの提出だけで最低限の単位を取得できた。今思えば優遇されていたのだろう。
 そんな猛者の単位を支えていたのは、まともに授業に出ていた三分の二の学生が作る講義ノートだった。八神もレポートの提出期限が近づけば、数人に声をかけてノートを借り、急場をしのいだことがある。
 それがきっかけで男を覚えた。むさくるしさの欠片もない、いかにも文系といった清楚な同期の男に迫られて、興味本位で乗ったのが最初だ。それまでも男女問わず言い寄られれば悪い気はしなかったのだから、元から素質があったのだろう。
 だが恋愛らしい恋愛にのめり込んだのは、ほんの数年だった。
 目が覚めたのは大学三年次の秋だ。
 スポーツと女に明け暮れた結果、必要な単位すらまともに取れておらず、卒論を投げ出して中退する先輩たちを見てこれじゃ駄目だと勉強を始めた。何年打ち込んだか知れない野球だが、プロになれるのは氷山の一角だと現実を知った時期でもある。
 机に齧りついてばかりの仕事は性に合わないと見切り、文武両道の道を模索した結果、警官を目指すことにしたのもそのころだ。
 警察学校時代は言わずもがな、遊ぶ暇すらなかった。そして就職二年目の春、当時デザイン専門学校に通っていた弟、響(ひびき)が交通事故に遭った。八神は所轄の派出所勤務で住まいは独身寮だったが、響の左足が不自由になったことを機に寮を出て兄弟で同居を始めた。
 以来、二十九になる今も、朝までコースは復活の兆しすらない。恋愛に消極的というわけではないのだが、出会いと別れのスパンはいつも短い。
 相手によっては警官の恋人も悪くないのだろうか、とふと思う。長谷部の女のことはよく知らないが、体力だけは無駄にあるはずだ。
 ――ってそこかよ。俺も相当溜まってんな。
 スーツの胸ポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。取り出して確認する。署内にいるはずの刑事課長、仁科(にしな)からだ。
「おっと……長谷部」
「はい」
「課長からだ」
 署に戻るぞ、と指で指し示せば、長谷部は早足で署の裏玄関へと近づき、スマートな動作で八神のためにドアを開けた。そんなことはしなくてもいいと何度も言っているのだが、高校時代からの癖だと言ってやめようとしない。
「八神です。署内にいます」
 簡潔に応答すると、仁科の早口が耳に飛び込んできた。
『サラスビバレッジの会長の孫息子が経営する会社、カリーズ・サラスに脅迫状が送られてきた。今から会議だ。長谷部は一緒か?』
 一緒です、すぐ向かいます、と答えて電話を切った。
 中野南署は警視庁第四方面本部に属している。犯罪の発生件数は二十三区でも比較的少なく、派手な事件は隣の北新宿署に集中しがちだ。ましてや企業を狙った脅迫事件が飛び込んでくるのは珍しい。
「なにかありましたか?」
「脅迫だ」
「生活安全課じゃなくてうちにきたんですか? それって」
 立て続けに質問しようとする長谷部を「いいから行くぞ」と引っ張った。
 階段を上がりながらスマートフォンで軽く下調べをする。

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