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ブルーライン[忠犬カウンターアタック]

WEB掲載分に書き下ろしを加えて文庫化! 忠犬カウンターアタック

栗城偲

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【お試し読み】忠犬カウンターアタック

 白倉芳(しらくらかおる)の働くバー「橘(たちばな)」には、「初恋」という名のカクテルがある。
 ちょっと人の悪いしゃれ好きのオーナーが企画したもので、特に決まったレシピはない。
 オリジナルカクテル「初恋」は、バーテンダーによって味が異なるのが最大の特徴だ。
 バーテンダー個人の初恋の味を再現せよ、というのがオーナーからのお達しだった。
 客はバーテンダーを指名し、その初恋の味を舌で転がすことが出来るというなかなかの悪趣味さである。
 客に自分の名前や顔を覚えてもらえるという利点はあるが、実のところプライバシーを切り売りするようなものだ。そんな文句を言おうものなら、「人の恋の話は、これ以上ない肴だろう?」とオーナーは笑う。
 バーテンダーは兄弟店の「桜(さくら)」所属の者を含めれば総勢六名。互いの店を時折行き来することもあるため、客は六種類の「初恋」を楽しむことが出来る。
 梅酒ベースのもの、レモン味、乳酸菌飲料を使用したものなど多様だが、その味は概ね、甘酸っぱいものが多い。
 そして客の殆どが白倉の童顔を見て、他のバーテンダーのものと同様に甘酸っぱい味の「初恋」を想像するようだ。
 だから、その多くは白倉のカクテルを一口含むと顔を顰める。
「苦っ……」
 カウンターに座った男性客が発した言葉に、白倉は苦笑した。
 白倉の「初恋」は、リキュールの中でも特に苦いと言われるフェルネット・ブランカを使用する。その他、副材料としてトニックウォーター、グレープフルーツジュースなどを用いるので、爽やかさはあれど苦みが強い。
 男性客――妹尾(せのお)は、グラスを傾けながら白倉を見やった。
 妹尾がこのカクテルをオーダーするのは初めてではない。彼は店の常連客で、バーテンダー全員の「初恋」を飲んだという、自称「初恋キラー」だ。
 その中でも特に白倉のオリジナルを気に入ったようで、毎回のように注文してくれる。腕を買われることは嬉しいが、このカクテルに限っては手放しで喜べない、というのが正直なところだ。
 白倉のいたたまれなさに気づいているのかいないのか、妹尾は毎度「苦い」と言いながら白倉の「初恋」を飲み干していく。
「飲むたびに思うけど、白倉さんの『初恋』、ほんと苦いなあ。もう何杯もオーダーしておいて今更だけど……こういう味になっちゃうのってどんな初恋だったの?」
 由来を訊かれるのは初めてではないが、一瞬動揺してしまう。
 けれどすぐに表情を作り直し、白倉は目を細めて「セオリー通り、実らなかったんですよ」とだけ口にした。バーテンダーを始めて、上手になったポーカーフェイスの奥を見通しているかのように、妹尾も微笑む。
 他のバーテンダーとは違い、その初恋がまだ思い出に変わっていないから、なんの昇華もされていないから、いつまでも白倉の酒は苦いままなのかもしれない。そんな思いを、白倉は笑顔に隠す。
「妹尾さんも、どうしてこればかり頼むんですか?」
「腕の振るい甲斐がない?」
「いえ、そういうことではありませんが……」
 つい私情を挟んだ科白を口にしてしまったことに少々気まずくなって返せば、妹尾が目を細めた。
「ごめん、別に意地悪のつもりじゃなかったんだ。最初は苦い! って思うんだけど、この味って結構くせになるし」
 フェルネット・ブランカは数十種類の香草を使ったリキュールで、独特の香りと強い苦みがある。万人に好かれるリキュールではないが、一度はまれば病み付きになる類のものでもあった。
「あと俺ね、こう言ったらなんだけど、ステアするバーテンダーを見るのがすっごく好きなんだ」
「なるほど、そうですか。そういう方もいらっしゃいますね」
 バーに来る人々は様々で、一人俯きがちに飲む客もいれば、連れやバーテンダーと会話を楽しむ客もいるし、酒が出来るまでじっとこちらの手元を覗き込んでいる客もいる。
 カクテルの作成技法は大きく四つだ。ミキシンググラスに入れた材料をバースプーンで混ぜるステア、グラスに直接材料を入れて混ぜるビルド、ブレンダーを使って材料と氷を混ぜるブレンド、シェイカーを振ることで材料を混ぜるシェイク。
 バーテンダーといえば、真っ先に想像するのはシェイクをしている姿だろうが、妹尾はステアを見るのが好きらしい。
 白倉の「初恋」は、主な材料をシェイクしてグラスに移し、トニックウォーターを加えてステアするカクテルだ。
「白倉さんのスプーンの持ち方、すごく綺麗だよね。指の添え方というか角度というか……」
「そうですか? ありがとうございます。あまり、自分ではわからないですが」
 ステアはバーテンダーのスキルの中では基本中の基本だ。なにごともそうだが、基本をマスターするにはとにかく練習を積むしかない。
 自身のステアはというと、プロとして恥ずかしくない出来ではあると思う。けれど、特別他のバーテンダーよりも優れているかと言われれば首を傾げてしまうが、素直に受け取った。
 妹尾はしげしげと白倉の手元を見つめ、合点がいったとばかりに首肯する。
「ああそうか、白倉さんて指が綺麗なんだね」
「指が、ですか。初めて言われました」
 言われてみて、改めて己の手指を見てみる。水仕事で荒れた指先、バースプーンで出来た胼胝(たこ)――労働者として誇りを持てる手だが、綺麗という表現からは程遠い。
 妹尾はそれでも上機嫌で「えー、綺麗だよー」と笑う。どちらかが女性ならば口説いているかのような科白だ。
「ところで白倉さんの初恋って、苦いけど、なんかほんの少し甘いというか変わった香りがするんだよね……これってトニックとかグレープフルーツの香りだけじゃないよね?」
「キュンメルというリキュールが少しだけ入っています。でも本当に少量なのに、よく気が付かれましたね」
 白倉が感心したように言うと、妹尾は微かに得意な顔をした。
 キュンメルというのは姫茴香(ひめういきょう)のことで、そのリキュールは独特の甘みと香りを持つ。それを少量加えたのは、カクテルのバランスのためではなかった。顔には出さないが、そんな気持ちを見透かされたような気がして居心地が悪い。
 グラスを磨きながら、白倉は「初恋」のことを思い返した。
 姫茴香には、人を引き止めたり結びつけたりするという伝承がある。かつては惚れ薬の材料とされたこともあったという。
 白倉の初恋は苦いまま、終わっていない。
 諦めたはずなのに捨てることの出来ない気持ちが、まだ胸の中に燻っている。
 いつかまた、なんらかの繋がりが持てれば――そんな叶うはずのない詮のない願いを込めているのだと知ったら、妹尾は笑うだろうか。
 未練がましい己を嘲笑いながら、白倉は目を伏せる。不意に落ちた沈黙を、妹尾はすぐに破った。
「……白倉さんて、若そうだけどいくつなの?」
「今年二十三歳になります」
 白倉の答えに、妹尾はオリーブをつまみながら目を丸くした。
「若そうじゃなくて若いんだ。俺と一回り違うのか……いつからこの仕事してるの?」
「高校を卒業してからなので、この世界に入ってからはもう五年です」
 初めのうちは見習いという名の雑用で、ちゃんとバーテンダーとしてカウンターに立ち始めたのは二十歳になる年だった。
「へえ……すごいなあ。でも、どうしてこの仕事しようと思ったの?」

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